先日、ネットサーフィン中にたまたま以下の記事を見つけて、ちょっと読んでみたのだが、相変わらずだな(笑)という感じだった。ちょっと気になったので、取り上げてみたい。これは反出生主義に関する記事であり、その考え方を肯定的に捉えている側面もある内容となっている。ただ、この記事の中に出てくるある文言がどうしてもひっかかる。ひっかかるというか、出生主義者の人たちって、反出生主義について1から勉強をすべきなんじゃ?と思えて仕方ない。
「「苦しみが存在しない世界を作るのは、むしろ良いことではないか」人の誕生・出産を否定する“反出生主義”、あなたはどう考える?(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース」
>確かに出産というのは100%エゴだ。そして生まれてくる子どものうち、全員が幸せになるわけではないことも確かだ。だからといって、反出生主義というのは、手段が目的化してしまっていると思っている。障害があって生きにくい世の中だと思うのなら、その世の中を変えれば生きやすくなるかもしれないし、なんでもかんでも生まない方がいいというのは、飛躍しすぎな気がする。反出生主義のような考えを持つことには、今の世の中の状況が影響しているとも思うし、むしろ次世代がそういうふうに思わないような社会のために頑張るしかないという、シンプルな答えに行き着くのではないか」。
上記の文章を読んで、出生主義の人たちって、そもそも反出生主義の理屈を理解してないよね(笑)と思うんだけど。障害があって生きにくいと思うのならば、その社会を変えればいい?それが現実的な実現できる手段として誰もが認識できるならば、反出生主義という考え方は生まれていないんですよ。そもそも反出生主義って、幸せな人間が多く生まれるかもしれない中で、不幸な人間が確実に一定割合生まれてしまうのが問題であるという意味合いが含まれているはずだ。そして、結果的に不幸と言える人間が一定割合生まれてしまう状況は、ほぼ全ての出生主義者も否定しない。つまり、反出生主義の主張の根底には、生まれてきた人間が100%幸福になれない状況が問題だと言っているのだから、それに対する反論は、今の時点で、もしくは近い将来100%誰もが幸福になれるはず(そのための方法が存在するはず)だ!というものか、誰もが幸福になれない状況の何が問題だ?それでいいじゃないか!というものでないといけない。しかし、上記の生きづらい人が生きやすいように世の中を変えていくべきという反論は、このどちらでもない。結局それはそういう努力ができる余地があるというだけであり、努力をした結果、障碍者が生きやすい世の中になる保証はないし、それが現実的に無理だからこそ、そんな努力をいまだに模索しているんでしょ?
要するに、不幸な人間が相変わらず生まれ続ける状況を否定するものでないのです。論点ずらしの一環にしか思えないし、不幸な人間が産まれる可能性は存続したままです。そもそも飛躍しすぎて何が悪い?と思うがね。飛躍することの悪質性を説明しない、根拠を提示しない、レッテル貼るだけで終わりならば、まさに詭弁を弄するという状況にしか見えません。飛躍と指摘する箇所が、この話題においてどのように問題と言えるのか?その説明をすればいいのに。飛躍しすぎ、しすぎじゃないという基準もないわけだから、逆に言えばこの部分において、飛躍しすぎと言える根拠も聞いてみたいものだが。あとは手段が目的化しているのも意味わからん。別に手段が目的化しているようには見えないけど?反出生主義の根底には、誰もが幸せになれないという考えがあるはずだが、反出生主義が主張する手段はその目的が一切含まれていないの?別の言い方をすれば、その目的を達成できるような手段ではないの?どういう手段を主張するか?は人によって違うが、手段の目的化というレッテルを貼るのであれば、その例を1つでも出してほしいですがね。
少なくとも誰もが幸福な人生を送ることができる状況は、無理でしょう。これは出生主主義者も肯定するんじゃない?だからこそ、この視点からは主張をしてこないのだろう。そうなると、誰もが幸せになれない社会で良いじゃん!という反論しか残されていないが、彼らにそういう主張は無理だと思う。誰もが幸せになれない社会=不幸な人間を一定数産み続けることを容認する社会になるため、犯罪などを容認する価値観になってしまうからだ。犯罪が一部で存在し、一部の人間が不幸になったとしても、この主張とは矛盾しません。1つの犯罪で被害者が1人で、得する人間が大量にいる状況もありえますし。例えば、大富豪から資産を盗み、大勢の貧しい人たちに分け与えるようなケースが該当するだろう。「子供を産むことは犯罪を容認することよりもメリットが大きい」と主張する人が以前いたので、そういう人にはこういう反論をすればいい。そもそもメリットなんて数値化できないものをどうやって比べるのだ?とも言えるがね。犯罪を容認する考え方は単なる1つの考え方でしかないので、本来は否定されるものではない。しかし、犯罪=絶対的な悪だと多くが考えるため、その犯罪を容認してしまいかねない主張を平然とできる人はほぼいないのだ。
こんな感じで、理屈で反出生主義者に勝てる人間はなかなかいないと思うが、その状況が続くと、当然ながら反出生主義の考え方は社会に浸透していきますよね。私のように、出生主義者の言っていることは単なる感情論、詭弁であると思う人が多くいたから、反出生主義者になった人がここまで増えてきたわけだ。その流れは今後も続くだろう。出生主義者が詭弁を弄する状況を続けている限り、出生主義者が反出生主義者に寝返る、または新規の反出生主義者が増え続ける余地は多分にある。例えば、子供などの場合、子供を産むことの是非について、良いも悪いもどちらの考え方も持っていないケースが多いだろうが、そんな状況でこの光景を目の当たりにしたら、大人と比べて反出生主義に傾きやすい。すでに子供を産んでいる、大人になるまでに反出生主義の価値観に遭遇していない、そんな完全に出生主義の側の人間であれば、そっちに完全に染まっているので、そこから反反出生主義に移るケースは稀でしょう。でも、まだ染まっていない子供であれば話は別なんですよ。
反出生主義の考え方は世の中の主流になるとは思えないけど、少しずつ普及はしていくだろうな。結局メディアがこういう価値観を世の中に伝え続ける流れが少しずつ生まれているし、個人でもそういった考え方を他人に説く機会はネットを中心に割と見られるので、反出生主義という考え方を一切知らなかった人が、その考え方に出会う機会が自然と増え、感化されるケースは間違いなく増えるだろう。そして、例えば社会主義みたいな感じで、反出生主義の考え方が1つの価値観として当然に存在する世の中にはなると思う。さらに言えば、この考え方は主流にはならないと思うが、仮にそうだとしても人類が滅亡に向かう可能性は否定されない。それは子供のヘイトが親に向かうケースが圧倒的に増えるだろうと予想されるから。自分の人生が非常に悲惨であると感じたときには、たいていの人は自分の無力や社会の問題を想像する人が多いんじゃないか?と思うが、反出生主義の考え方が浸透すると、親が子供を産むことで発生する(将来的に子供が不幸になる可能性に関する)害悪性が世間で共有されやすくなる。反出生主義は「産む」こと自体が害悪として捉えられるわけだから。
すると、(実際に自分を産んだ)親を恨み始めるケースがどんどん増えると思われる。自分は無能だし、社会は弱者に都合の悪いようにできている。だとしても、親が産まなければ自分が不幸になんか100%ならなかったという、ごく当たり前の事実にようやく気付き始める人が増えるはずなので、親に対してその不満を爆発させるケースが少なからず出てくるだろう。自分を産んだことに憎悪を膨らませ、親を殺す子供がニュースで普通に報道されるような世の中になるかもしれない。最も身近な例で言えば、非正規雇用で雇い止めに遭ったような人は、今までは会社や社会の仕組みを非難するのが普通だった。しかし、今後はそんな世の中であることを分かったうえで、自分の子供がそういう目に遭うかもしれないリスクを肯定したうえで、自分のエゴを優先した(自分産み落とした)と見なし、自身の親を恨むようなケースは確実に増えるだろう。悪いのは会社だ!社会だ!が当然の状況から、いやいやそんな状況であることを理解したうえで親は産んだんでしょ?最悪子供がそういう目に遭っても構わないと容認したんでしょ?ならば、元を辿れば無責任すぎる親が悪いんじゃね?という価値観が普及し、その結果、子供が親を一生恨み続けるような光景、インドであったように自分に許可なく産んだ親を訴えるケースが出てきても不思議ではない。そんな光景もニュースとして報道され、多くの人たちが知ることになる。
仮にそうなれば、子供を産みたいと思っている立場の人間にとっては、気軽に産めなくなります。自分が殺されるかもしれない、そこまでいかなくても自分がむちゃくちゃ恨まれるかもしれない状況を想像したときに、産みたいけど産むことを選択できない層が増え始めるだろう。今までは子供が不幸になっても、本人が自分の努力不足とか、社会のせいにしてくれていたのに、自分に対して歯向かってくるかもしれない、そんな危機感を覚える人もいると思うんですよね。そんなかもしれないを優先して子供を産むことを躊躇するならば、なぜ今の(生まれてくる子供が不幸になるかもしれないと指摘されている)段階で、産むことをやめないんだ?と思うが。自分への危機は見過ごせないが、他人の危機はどうでもいいのかもしれんけど。すでに経済的な理由で産みたいけど、産むことをしづらいと感じている層はいるが、産みたいけど産めない人が増え始めた結果、人類はマジで滅亡に向かうかもしれません。これは反出生主義者がマイナーな状況であっても起こりうる状況です。反出生主義の考え方を認められなくても、子供を産む選択ができない層はちゃんと存在できますから。

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