就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

「コロコロよりもゴロゴロの方が大きいと感じるのはなぜ?」←何このバカみたいな疑問(笑)

【スポンサードリンク】

1月2日に両親と夕食を食べていたときに、たまたま「チコちゃんに叱られる!」だっけ?それの新春スペシャルみたいな番組が家のリビングのテレビに映っていたんですよ。私は普段テレビなんか全く見ない状況で、この日も見ていたというよりは、食事をしているときに音声がたまたま耳に入ってきたという状況なのだが、その内容に愕然としてしまった。私が食事をしていたときにやっていた内容が「コロコロよりもゴロゴロの方が大きく感じるのはなぜ?」というもので、私は「は?(笑)」と思わず思ってしまった。何この疑問・・・(笑)という感じで、まるで日本人の多くがそういう感じ方をしているみたいな言い回しをしていたのね。実際そうなのかもしれないけど。少なくとも私はそんな疑問を持ったこともなければ、コロコロとゴロゴロの大きさのイメージ違いなんて抱えたこともない。そもそも大きさって何の大きさ?とも思ったけど、転がっているものなのかなー?と、無理やり想像することにした。

 

コロコロとゴロゴロって、それぞれが転がっているものの相対的な大きさの定義なんかないじゃないですか?厳密に言えば、辞書で調べるとコロコロ、ゴロゴロはそれぞれ小さいもの、大きいものと言及されている場合もあるものの、これはそれぞれコロコロ、ゴロゴロと比べてという相対的な言い方ではなく、コロコロは小さいものに使う、ゴロゴロは大きいものに使うといった感じで、個人の主観に頼った絶対的な言い方をしているので、辞書の定義を使っても両者の正確な比較をすることはできず(相対的な大きい、小さいの比較であれば、客観的に判断ができる)、番組の趣旨とは違う。そもそも辞書に載っている小さいもの、大きいものという部分が、人々が抱いているイメージから付け加えられたものである可能性もあるが。ストレートに捉えれば、それぞれの言葉から大きさのイメージの違いなんて生まれるはずがないと思うのです。

 

でも、仮に世の中の日本人の多くがそういうイメージを浮かべているのだとしたら、本当にその感覚は理解できない。だって、コロコロとゴロゴロに元々相対的な大きさにかかわる定義は存在しないのに、そんなイメージを勝手に抱くというのは、要するに先入観で物事を判断しているということ。コロコロよりもゴロゴロの方が大きいものが転がってそうだよねという謎の発想は、先入観が存在しなければ浮かばないはずです。強いて言うならば、辞書に小さいもの、大きいものとそれぞれ書いてあったから。という理由ならばまだ合点はいくかもしれないが、この場合にはイメージじゃなくて定義に近くなってしまうので、今回の放送内容とは相容れない理由だろうと思うが。実際、後述する番組内の解説でも辞書の定義などの話は一切出てこない。というか、それぞれの意味を辞書で調べたことがある人なんてほぼいないはずだから、辞書にそういう定義が載っていたとしても、それを知っている人はほとんどいないと思う。だからこそ、番組はコロコロとゴロゴロがそれぞれ相対的に小さい、大きいという判断を人々のイメージから発生したものと捉えているのだろう。番組では、確か「ゴロゴロの方が発音する際の口の中のスペースが大きいから」とか、専門家の人が解説していた気がする。それが理由としてどうなのか?という部分もあるけど、そもそも解説をしている時点で、この専門家と思われる人は、自分が先入観で特定の言葉に特定のイメージを付与している事実に関して、何の疑問も浮かばないんだ?と思いました。

 

私は番組の途中で食事を終えてリビングから姿を消したので、放送内容の全部は見ていないけど、あと「強そうな苗字は?」とか、そんな話題も扱われていた気がする。なんだよ強そうな苗字って(笑)さっきよりも酷くないか?それぞれの名字に相対的な強さに関する因果関係なんて存在しないのに、なんでそんなイメージが浮かぶんだろう?とどうしても思ってしまいます。そういうイメージが浮かぶ理由は説明できるんでしょうけど、その理由も因果関係じゃないからね。因果関係ではない時点で、やはり先入観なんですよ。何の関係もないのに、関係が少なからずあるんじゃないか?と思えていないと、強そうな苗字なんか浮かばないと思うのよね。でも、これがテレビなんだなと思うしかないです。

 

インターネットで検索すると、「テレビはバカ向けに作られている」とか、「テレビを見るとバカになる」という言葉が躍っている。私はそれに対して違和感はないし、そうなんじゃない?と思える面もあったが、こういう放送を見ると、そういう部分はより確信に近くなります。少なくとも番組の制作側は、この内容で視聴者が面白いと思ってくれると考えたわけでしょ?これは番組制作側が視聴者と同じレベルの感覚なのか?視聴者の感覚レベルを相当低いと判断したのか?のどっちかでしょう。最近のテレビ番組は全然知らないので、他の番組がどんな内容になっているのか?は知らないけど、もしかしたら他も同じような感じなのかもしれないです。でも、不特定多数を相手にする商売っていうのは、そうならざるを得ないでしょう。それこそ前にも話した「CMは偏差値40の人に向けて作らないとダメ」という言説もあるし、たくさんの人に見てもらいたい、利用してもらいたいものは、そういう発想ができる人じゃないいけないんじゃないか?と思う。ある意味、そういう人の気持ちが理解できる人じゃないとこの業界には向かないんですよ。その人がバカなのか?頭がいいのか?分からんけれども。

 

世の中の人たちは、自分と同じ人たちが多くいると安心する感覚があるらしいですね。その感覚もあまり理解できないけど、そうなるとバカが世の中に大量にいたとしたら、彼らの頭の構造は未来永劫変わらないんでしょうな。だって、自分はみんなと同じだ!大丈夫だ!と安心して、終わりだもん。自分も周りの人間もヤバいかもしれないという発想にすらなれないでしょう。そういう意味では、テレビがつまらないという感覚を持っている方が正常なのかもしれないですね。私は全部が全部つまらないと思っているわけではなく、見たいと思うものもある。バラエティとか。でも、基本的にテレビを通じては全く見ないんですよ。テレビって超不便じゃないですか?放送時間帯に合わせないといけないし、一時停止も巻き戻しもできないし、CM終わるまで待たないといけないし。そんな感じで、見たいと思う番組はあるけど、テレビでしか見られないなら、見ない方がマシだくらいの感覚です。だから、滅多にないけど、どうしても見たい番組があったとしたら、パソコンとかを使用して、Tverとかの見逃し配信のサイトで視聴しますよ。テレビとか、すごい昔の娯楽ツールみたいな感覚で、私はしばらく使ってないです。今年の箱根駅伝も日テレの公式ライブ配信を通じて見てましたし。そういう意味では私もテレビ番組と完全に縁を切れていないので、バカな部分がまだまだ残っているんでしょうね(笑)

 

バカの壁(新潮新書)

バカの壁(新潮新書)

  • 作者:養老孟司
  • 新潮社
Amazon

 

あわせて読みた記事