今回紹介するのはテイルズオブシンフォニアであり、「君と響きあうRPG」というジャンルになっている。ただ、私としては「世界は救われる、彼女を失えば」というキャッチコピーの方が印象深い。これは当時流れていたCMなどでも使われていた言葉だ。このテイルズオブシンフォニアはゲームキューブ、PS2、PS3でプレイすることができるが、私はPS2版でやっていた。ゲームキューブ版とPS2版はそんなに違いはないみたいだが。このゲームはファンタジーではよくある2つの世界を描いている。そして、この2つの世界は生命や大地などが存在するために必要な「マナ」と呼ばれる存在を奪い合っている。マナがなければ、それぞれの世界そのものが滅びる。だから、それぞれの世界の人たちはマナを奪い合う、対立する状況となっていたのです。
以下は壮大なネタバレになるので、見たい人だけ見てほしい↓
しかし、ゲームをある程度進めていくと、この2つの世界は意図的に作られたことが分かる。元々世界は1つだったが、ある理由から、ある人物の手によって2つに分けられてしまった。それは世界を救うためだと、その人物は言う。そして、主人公の側では世界を救うため(この場合の世界とは、2つの世界をともに指している)に冒険をする中で、ヒロインが何度か死にかける。主人公とヒロインは同じ学校に通う友達であり、幼馴染のような関係でもあるため、当然ながら主人公は彼女を助けるために動くが、それ自体が実は世界の衰退を招く行為とも言えたのです。基本的に主人公は2つの世界をともに救う方法を目指しているが、それは実は世界を2つに分けたこの人物も同じだった。というか、世界を2つに分けるその手段こそが、世界を救う方法だった。世界には絶対に対立する層があり、彼らは最終的に戦争を起こす。その戦争はマナを大量に消費し、世界を滅亡へと導く。対立する層をそれぞれ分けて、2つの世界で生活させることをすれば対立は消え、世界は救われると言うのだ。しかしながら、2つの世界が存在することで、一方から一方へのマナの搾取は続き、どちらかの世界(そして、そこに住む人たち)は最終的には滅ぶ。2つあるどちらの世界でも、生きるためにはマナが必要で、そのマナをお互いの世界で奪い合う状況は依然として続く。でも、世界を2つに分ける以外の方法では世界は救えず、この方法をとらなければ、いずれ世界そのものが、そして人間自体も滅ぶのだ、とその人物は言う。
世界を2つに分ければ、どちらかの世界とそこに住む人たちはいずれ滅ぶが、彼らを救おうとすれば、もう1つの世界とそこに住む人たちが今度は滅亡の危機にあえぐ。両者は完全にトレードオフの関係になっています。この状況において、主人公らは再び世界を1つにすることを目指しているものの、それは理屈で言えば、世界全体の滅亡を目指す行為になってしまうのです。主人公の世界全体を救いたいという信念を自身が貫くのであれば、まずヒロインは見殺しにすべきだし、それ以外にも一定数の人たちを見殺しにすべきという理屈になってしまう。それが最善と言えてしまう。そんな状況に置かれた中で、主人公たちはどのような道を歩むのか?どのような手段を選ぶのか?という点が、このゲームのみどころになってきます。なんだかブラックジャックの「ちぢむ!」回みたいなストーリーに思えてきます。医者が命を救うことで、人口減少を食い止め、その結果食料の奪い合いが起き、飢餓が発生し、新たに死ぬ人が増える。そんなジレンマが描かれていた。あとはシュタインズ・ゲートやFF10とかも展開が似ている気がする。どちらとも救う方法はないのか?というパターンです。
このゲームで描かれている状況とそっくりな状況は現実では考えられませんが、近い状況はあり得るかもしれません。というか、搾取の状況については確実に現実に存在します。現実では様々な富が対象になることが多いけど、富の奪い合いは日常的な光景だと思います。誰かが富めば、誰かが貧する。そんな状況は普通にあると思うのだが、それは国内だけではなく、世界規模で起きていることです。搾取をしないと生活がままならないような状況もあるのだろうし。日本が帝国主義を歩んでいた時代はまさにそうで、例えば昭和の時代には、日本は中国を搾取の対象にしようとしていた。現代では考えられない価値観によって、中国の満州に対して今で言うところの強盗を働き、そこに眠る数々の利権を手にしようとしていたのです。それくらいに日本は貧しかったのです。今では帝国主義は世界的にほとんど見られないような気はするけど、搾取自体は消えていません。というか、搾取の手段として帝国主義が消えただけです。世界の人々が全て幸せになれる、それはありえないと言っていい。少なくとも世界の人たちが今と変わらない感覚と価値観を持ち合わせているのであれば。
個人的には先の人物が考案した「対立する層を別々の世界に分ける」というやり方は賛成だ。世界で分けるべきか?どうかはともかく、もっと身近な例で言えば、仲が悪い人たちが無理に交わる必要はありません。対立する層はコミュニティとして分かれればいいと思うのです。学校などでは、仲が悪い人たちも同じクラスの中で仲良く振る舞うように指導されるが、マジで時間の無駄だから。何の得があるのよ?教科書的な回答で言えば、「将来的には仲がいい、悪いに関係なくいろいろな人たちと協力しないといけない(会社での仕事など)から、その練習のため」といったものが来るのではないか?と思われる。人間関係が会社を辞める理由の上位にきているところを見ると、無理に良好な人間関係を築こうとすることが、いかに害悪か?すらも分からないのか?と思うけど。
そもそも仕事において嫌いな人間と付き合いたくない状況で、そっちを選びたいならば選べばいいじゃん?仕事クビになったら困るならば、嫌いな人間と付き合いながら働けばいいけどさ。幼い頃から練習をしていないと、それができないって言いたい人もいるんだろうが、なんでできないの?だってクビになったら困るじゃん?嫌いな人間とでも仕事をしていくインセンティブがあるわけよ。学校の場合にはそれがない。そもそも嫌いな人間と付き合えないって言うならば辞めたって構わないけどね。だから、そもそも「できない」としても、それでいいじゃん?って反論することも可能だ。だって、その人にとっては生活の保障がなくなるよりも嫌いな人間と仕事をする方が無理って判断しただけなんだから。自分にとってより望ましい判断をしただけ。それの何が問題?それに嫌いな人間と付き合う練習をした結果、苦痛に耐えることを知ってしまい、我慢しすぎて鬱病になったり、過労死した人もいるんじゃないの?って思うけど。そういうリスクが存在することの説明はできますよね。この状況を考慮すれば、逆に苦痛を感じる状況から、嫌いな人間から逃げる練習が必要ってことになるよね?(笑)そんな感じで、仲が悪い、協調できない人たち同士はコミュニティを完全に分けるべきだと思っている。それが教師らが考えそうな感情論を無視した場合の最善というか、合理的な策でしょう。「みんなが仲良く」なんて発想をゲームなどのフィクション以外の場面で主張する人たちは、私からすればとても信じられないことを言っているなという感じで映ります。

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