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「政治に無関心で何が悪い!?」←そもそも政治に無関心の方が正常です

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私は政治にほぼ関心がないし、意図して関心を持たないようにしている。世間では若者はなぜ政治に無関心なのか?など叫ばれることが多いです。でも、それに対して何が悪い?と反論する人もいます。私も政治に無関心で何が悪い?と、ずっと思い続けています。私は若者の年代で実際に政治に無関心ですが、なぜか?と言われれば、それが自分にとって都合がいいからです。私がそういう考えに至った理由としては、今から5、6年前かな?誰が言っていたか?は忘れたけど、前々回くらいの衆議院議員総選挙の時期に、選挙に対してややネガティブな発言をしていた人がいたのです。それは「世の中を変えるよりも自分を変える方が簡単である」といったものであり、これは要するに選挙を通じて世の中を変えようとするよりも、自分を変えようとした方が、自身が幸せになるための難易度が低いという意味だったと記憶しています。これは当時、私は非常に共感した覚えがあります。実際、選挙を通じて世の中を変える、しかも自分たちにとって都合のいいように、というのは無理でしょ?(笑)と思うわけです。冷静になってみれば、非現実的というか、そうなる期待すら持てません。

 

世の中を自分の望んだ状況に変えるには、まずそれが可能な立候補者、政党が存在しないといけない。そのうえで彼らが当選、または政権に深くかかわる状況を実現しないといけない。そして、それを自分の1票で達成しないといけない。こうして考えてみると、スタート地点で無理でしょ?と思えてくる。そもそも政治家が望んでいる状況と私が望んでいる状況が一致する保証もないし。というか、恐らく一致していない。そんなこんなで、私はいつからか政治に期待することは一切やめました。それ以前も期待していた記憶もないんだけど。で、私は世の中は変わらなくていいから(変わってもいいけど)、自分を変えようと思ったのです。それは別の言い方をすれば、都合のいいように自分で自分を洗脳するということです。自分の感覚や考え方を変えることで、世の中がどういう状況にあっても常に幸せでいられる状況と作ろうとしました。その1つが前にも言ったことあると思うけど、世の中には常にメリットとデメリットの両面があるという部分を自分に対して強く認識させることでした。これによって、従来デメリットとしか思えなかったことにメリットを見出すことができ、多くの人が不幸を感じる状況において、そういう気持ちがほとんど芽生えなくなりました。

 

例えば、世間ではPS5が転売価格でしか購入できない状況が続いており、その状況を嘆いている人もいるでしょう。有機ELタイプの新型Switchもそうなりそうだが。私も転売価格で買う気はしないので、本来であれば嘆くような状況なのだろう。しかし、私は別にPS5を買えない状況において悲しい気持ちは一切ない。それはPS5を買うことができなくても、ゲーム自体はできるからだ。時間は有限なので、PS5のソフトに時間を費やせば、他のソフトに使える時間が減る。PS5を買うことができれば、PS5で遊べるというメリットはあるけど、それが無理ならPS5以外のゲームで遊べるメリットが生まれるだけ。別に最新のゲームこそが至高なんて決まりはないので、他の機種のゲームだって十分に楽しめるでしょう。それに私は今の進化しすぎたグラフィックはあまり好きじゃないんですよね。そんな感じで、PS5が定価で買えるようになれば、そのときには買うかもしれないけど、それまでは私は別のゲームをして楽しめばいいや!と思っているのです。そんな感じで、私はPS5を買えないことによるメリットを見出し、特に不幸になることもなく、日常的にゲームをしています。それに永遠にPS5が買えない(まずありえないが)状況が続けば、PS5に出すお金が永遠に生まれないので、出費が減るという意味でもメリットがあるだろう。

 

物事はどこを見るか?によって、メリットとデメリットが両面あり、本来デメリットでしかないと思われることも実はメリットを見つけられると知れば、不幸になりようがないと思うのです。世の中は全てトレードオフによって成り立っています。その事実を私たちは知るべきです。だって、不幸と思われる面には常に幸福な面があるのだから。どんなことにおいても私はそれを見つけられると思っています。そして、逆に言えば多くが幸福としか思えないことに関しても、探せば不幸な面は存在しているが、私はあえて探さない。そうしないと都合のいい状況にならないから。直感的にこれは幸せだと思えるものに関しては詮索せず、不幸だと思えるものに関しては幸福な面を探す。これをやると、常に自分にとって都合のいい思考になり、不安や嫌悪といった感情を忘れてしまうような状況になったのです。私は日頃からそういうものをほとんど感じていない。ストレスという概念を忘れそうになるくらいに。

 

そんな感じで、私は世の中がどうなろうと全く関心がない。どのような世の中になったとしても、私は常にその世の中における良い面を見つけられるだろうから。仮に日本が戦争に巻き込まれる、戦争を起こすようになったとしても、私は特にネガティブな状況は描いていない。戦争に巻き込まれて死ぬかもしれないけど、死ねば私がわずかながら抱えている不安や嫌悪という感情を気にする必要がなくなるので、それはそれでいいか(笑)なんて思っているのです。私は自分の人生に特に意味は見出していません。自分自身を洗脳するこにより、常に幸せな感覚でいられるようにしたものの、いつまでも生きていたい(幸せを持続させたい)という感情はない。生きることと死ぬことは私の中では±0だから。生きていても死んでいても幸福度合いに差があるとは思っていない。死ぬことすら許容できる境地というのは、ある意味本当に幸せな状況なんだろうなと、私は自分自身で強く実感しています。こういった何事もこだわらないというスタンスは、選挙における「世の中を変えるよりも自分を変えた方がいい」という考え方からスタートしたものであり、誰が言ったか?は覚えていないけど、私は非常に感謝している。

 

どうあがいても選挙によって、政治によって理想的な世の中にならないならば、世の中を変えるよりも自分を変えることの方が幸せになるための難易度が低いならば、選挙に行く意味はないし、政治に関心を持つ必要は一切ない。むしろ、選挙に行かない方が、政治に関心を持たない方が正常でしょう。私に言わせれば、選挙に行き、政治に関心を持つ行為よりも合理的なものがあるのだから、そっちをやればいいのにと思う。そして、そっちをやりさえすれば、前者の行為をする意味はほぼ見出せなくなると、私は思っています。選挙には投票に行くべきだ!政治に関心を持つべきだ!とか、なぜ政治に無関心でいられるのか!?という思考停止に陥っている層は常に世の中に大量にいるでしょうけど、その常識の発想こそが不幸を生み出している気がしてならない。政治に無関心で何が悪い?と開き直っている人の方が、本当は推奨されるべき状況なんだろうと思っているのです。だから、私は政治への関心が低下すること、選挙の投票率が下がることは肯定的に常に見ています。

 

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  • 作者:森川友義
  • ディスカヴァー・トゥエンティワン
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