動物の殺処分って、なぜか反対する人が多いじゃないですか?私はその気持ちが全く理解できません。殺処分に関しては多分賛成よりは反対の人の方が多いのではないか?と予想するけど、反対の理由とやらを見ると、まあひどい(笑)小学生の作文じゃないんだからwwwと思えるような、見事な感想が並んでいる。代表的なのは「かわいそう」とか、「殺すのはよくない」といったものです。世の中の常識に従うことしかできない、ひどい思考停止だなと思うしかないですが。基本的には私は殺処分は大賛成です。でも、多分他の賛成の人たちと理由は違うと思う。私は殺処分が悪く言われる理由ってないと思っています。何が悪いのか?理解できません。先ほど挙げた、かわいそうとか、殺すのはよくないというのは、それは殺処分を受けた動物側の視点は一切含まれていない。かわいそうっていうのは、殺処分を見た人間の感想でしかない。あなたが殺処分に対してどう感じたか?それが一体何の価値があるというの?殺すのがよくないに関しても、「殺す」というワードのネガティブさに引きずられているだけのような気がするのよね。本質的なものの見方ができないんだろうなと思います。
殺処分というのは、ある部分において、圧倒的に優れています。それは動物たちが苦痛を感じないということです。恐らくその可能性が高いと思います。方法にもよるんだろうが、殺処分って、人間で言えば寝ている間に死んでいるようなものだと思うのです。人間以外の動物はそもそも死を予期することがしづらい、できないと思う。ってことは、殺処分をされるにあたって、今から自分が死ぬなんて想像はまずできないだろう。そういう意味で、人間であれば日常の中で寝ている間に死んでいるようなものだと思うのだ。ただ、動物たちが殺処分をされない場合はどうなる?別の原因でいずれ死ぬわけじゃないですか?餓死、事故死、病死、虐待死など、どれをとっても少なからず苦痛を感じますよね。私からすれば、殺処分に反対している人って、そんなに動物に苦痛を与えたいの?サディストなの?って感じに見えます。殺処分で死ねば、苦痛を感じずに生涯を終えます。でも、殺処分以外ではほぼ確実に肉体的な苦痛を感じるでしょう。だから、殺処分は死という部分においてはメリットしか思い浮かばない。だから、殺処分は何が悪いのか?全く分かりません。そもそも殺処分に肉体的苦痛があったとしても、殺処分以外のケースで死ぬ場合にも肉体的苦痛は通常あるので、ここは別に殺処分に反対する理由にはなりません。
殺処分をなくす方法は?とか、なくすにはどうしたらいいか?とか、考えている人いますけど、殺処分をしない場合のこういったケースについてさ、1度でも考えたことあるの?殺処分はよくないという前提の上で話を進めているよね絶対に。頭で考えるってことができないんでしょう(笑)世の中に存在する常識に思考停止で従うだけ。殺処分に反対する人たちが仮に大量にいるならば、ロボットと何が違うんだろうね?(笑)って人間ばかりなんだと思うよ。殺処分に反対する人は、人間という立場からしか物事を捉えていない。殺処分をされる側の立場には一切立てていない。要するに、彼らは「自己満足」で反対してるんだよ。動物の気持ちなんかどうでもいいと思ってるんでしょ。殺処分をなくすにはどうしたらいいか?って(笑)殺処分が0になったら、動物たちは幸せなのか?それをどうやって筋道立てて説明するんだ?マジで聞いてみたいよ。殺処分をなくしたいと考えている人は、私からすれば、肉体的苦痛を与えることに何かしら喜びを感じる人なのかな?と、かなり蔑視してますからね。
人間からすれば、生きられる命を絶つことをよくないと思ってるんだろうが、それは動物たちの幸せとは直結しません。そもそも酒やタバコ、ドライブなど人間の寿命を縮める、死ぬ可能性が高まる趣味を容認している中で、そんなことを言っても詭弁にしか聞こえませんが(笑)犬や猫などの幸せとは関係なく、俺たちの自己満足の方が大事なんだ!って言うならば、まだ納得してあげますけど。そうじゃないならば、「殺す」という部分にこだわる理由なんかないことを理解しろと思う。先ほども言ったけど、人間以外の動物は死を意識したり、予期したりすることがおよそ不可能だと思う。これは同意してくれる人も結構いると思うが、そうならばいつ死ぬか?に関して、動物たちの幸福度には影響しない。人間であれば、死を予期した場合、自分の年齢などで幸福を測ることを無意識にやることがある。例えば、20歳で余命宣告をされたら、平均寿命と比べて大分早死にだなとか思うわけですよね。でも、動物にはそういう発想ができないでしょう。自分が死を迎えることが近いという意識になりようがないと思うのです。だから、動物の死というのは、人間であれば寝ている間に死ぬ状況と同じ。殺処分の場合にはなおさらだ。寝る前に死を意識することなく、そのまま眠りに入り、そのまま死ぬということ。私はこういう死に方が理想です。不安なく、精神的、肉体的な苦痛を最も感じずに死ねるからね。
知らない間に死んでいる状況、それは本人が死を全く意識せずに死んだということ。ってことは自分が早死にか?どうかを意識する瞬間はなかったはずだ。それ以外の不安などの感情についても同様です。動物の殺処分はこれと同じことが起きます。動物は死を意識することができないだろうと書いたけど、病気の場合にはもしかしたら意識できるかもしれない。自分の肉体の変化を感じているだろうし。そもそも病気の場合にはすでに肉体に苦痛が生じていると思うが。殺処分で死なないってことは、結局こういう苦痛をいずれ体感することになるのよ。殺処分を受ければ、知らない間に死んでいるから。例えば1歳で死んでも、10歳で死んでも幸福度に差はないでしょう。死を意識しない間に死んでしまったので、早く死んだことに関して動物そのものは全く意識できません。そもそも動物には時間の概念があるのか?も怪しいが。長く生きることを良しとするのは、あくまでも生きている人間がすることです。生きている人間の評価であり、死んだ対象の気持ちは全く考慮されていないのです。人間の場合には、殺処分をしても同じ状況は実現できない。それは殺処分という概念を知ってしまっているから。人間だと死刑に近い概念だと思う。その概念がないだろうと思われる動物にしか存在できないメリットではあるが、いずれ到来する苦痛を避けて死ぬことができるならば、それは大きなメリットです。
私は正直言って、自殺ができる人間がちょっと羨ましい。自殺をするってことは、恐らく肉体的苦痛が存在しない方法を自分で選ぶことができるからだ。自殺以外で死ぬとなれば、動物と同じで、いずれは何らかの苦痛を感じる可能性は否めない。私は死に対する恐怖を少なからず感じているので、まさに死を意識してしまっており、自殺は簡単にはできない。だから、それができる人間に対してちょっとした羨望を感じてしまう。私は反出生主義寄りの人間なので、基本的に生物は生まれてくるべきじゃないと思っているし、最終的には滅亡すべきだと思っている。だからこそ、殺処分は大賛成だ。殺処分は何が悪いのか?それを感情論や自己満足以外で説明できる人は、私の頭の中では想像できない。殺処分をなくすには?なくす方法はあるのか?などを探している人たちが世の中では多数派みたいなので、殺処分が肯定的に世の中で見られることはまずないでしょう。殺処分の賛成の人たちがどのくらいいるのか?分からないけど、ニコニコ動画には猫の殺処分の動画があがっていたりします。その動画に対するコメントは、いいぞ!もっとやれ!的なものがほとんどだったと思う。恐らくだけど、野良猫などの迷惑の気持ちが大きいからこそ、彼らは殺処分に大賛成なのだろう。世の中で殺処分に賛成する人たちの理由は、結局は害悪の部分がでかいのではないだろうか?ただ、私はそういう理由ではないので、彼らとはまたちょっと違う立場ということになります。
動物は生きたいと思っている可能性があるじゃないか!と反論してくる人もいると思うけど、生きたいっていう感情を、殺処分は邪魔しないんですよ。だって、その感情は生きている間にしか存在できないんだもん。生きたい気持ちを邪魔するっていうのは、生きたい気持ちが存在する前提での話です。死んでしまえば、生きたい気持ちそのものがなくなるので、邪魔しようがないわけですね。人間に対して、お前を今から殺すと宣言すれば、生きたいと思っている本人は、その気持ちを邪魔される、されようとしているとまさに感じているでしょう。でも、死んでしまえばそう感じるのは無理です。また、生前の動物にもそれを感じることはできない。殺処分って、前もって死を予感させる状況がないはずだから。死そのもの、殺処分、この2つの概念を動物が理解することができるだろうか?だから、殺処分されようとしている動物たちが、生きたいと思う気持ちを邪魔されるなんて感覚にはまずなれないと思う。そして、死んで以降は感情がないので、当然邪魔しようがありません。
正確に言えば、人間の意識として邪魔はしていても、動物自身が邪魔されたとは感じられないということです。人間で言えば、寝ている間に無意識のうちに殺されれば同じ状況でしょう。本人は生きたいという気持ちを邪魔された感覚を持たずに死んだことになります。だから、生きたい気持ちなんてのは、今まさに生きている人間しか抱けない感情なんですよ。人間がしているのは、生きたいと思っている可能性がある動物の生きる行為を邪魔したことに対する評価です。で、その評価は動物たちには何の関係もありません。その評価が存在すること自体、動物たちに精神的、肉体的影響も与えられません。邪魔される感覚は殺処分をされようとしている、された動物にはないでしょう。その感覚がなければ、邪魔されることによる苦痛も存在しない。生きている人間が動物の生きたいという気持ちを邪魔をしたと評価するだけで。邪魔をするのがなぜ悪いか?それは邪魔をされたと感じたときの対象となる生き物自身の苦痛が問題なはずですよね?苦痛がない場合には、なぜ問題と言えるのでしょうか?そこまで考えてるの?考えられる頭があったら、こんなこと言わないんでしょうけど。
そもそもの話をすれば、動物に「生きる」なんて概念があるのだろうか?野良猫であれば、人間からすれば生きるという行為を日々しているように見えるが、それはお腹が減ることの苦痛を避けているだけの行為な気がする。お腹がすくのは苦痛なので、それを避けるために餌を探して食べる。その積み重ねが人間には生きるという行為に見えているだけな気がする。つまり、猫が日々やっているのは、生きるというよりは苦痛の回避なのでは?と思う。この苦痛は野良猫であれば、一生反復されるものだろう。であれば、死ねば苦痛が取り除かれるのだからいいことにしか思えない。苦痛が悪いコトであり、殺処分が苦痛を感じないならばなおさらだ。それに人間同様に死にたい(生きたくない)、ホームレスみたいな辛い日常から逃れたい、産まれてきたくなかったなんて気持ちが存在する可能性は彼らは無視なんですよね。生きたいって気持ちが仮にあるならば、なぜこういう気持ちの存在を考慮しないのだろう?都合のいい解釈しかしない人間のせいで不幸になっている動物がいても不思議じゃないのに。殺処分をなくす方法とか、殺処分ゼロを考えている人は、自分たちはいいことをしていると思っているんでしょうね。想像力が欠如している人はある意味幸せなんでしょ。

犬房女子 犬猫殺処分施設で働くということ
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