私はYoutubeで犬や猫の動画を見ることがある。たいていは餌を食べているときの動画が多い。私の場合には、餌を食べている光景が面白いのであって、正直音はどうでもいいのだが。そういう動画を見ていると、思うことがあるのです。飼い主が餌を容器に入れようとしているところに猫とかがやってきて、食べようとするんだけど、それを払いのけるのです。この光景を見て、人間ってマジで無能だなって思えてくるのです。台所とかに猫が乗っかってきてその場で食べようとするわけだ。人間からすれば、もう少し待てよと思うかもしれないけど、猫からすれば、なんで待つ必要があるの?その時間に何の意味があるの?と思っている可能性もある。人間は行儀のいい、悪いという部分を気にする傾向にある。一般的に猫と言えども、飼い主が食事を準備しているときに、横から入って食べようとするのは、飼い主からすれば行儀が悪いと捉えるのではないだろうか?準備がちゃんと済んで、所定の場所に置いたうえで食べてほしいと思っているのだろうが、猫からすればそんなのは時間の無駄でしかないという思いがあるかもしれないし、実際私はこれってマジで何の意味があるのだろう?wと思うことが多々ある。
実際、人間と猫の気持ちが同じはずではないのだが、それは人間が無能だからだと思う。行儀のいい、悪いというのは、何の役に立っているのか?というと、単なる自己満足です。行儀が悪いとされる行動を無意識のうちに悪いと捉えているから、悪く見えるだけなのだ。しつけをしないといけない事情もあるだろうが、しつけってこの場合には猫にとっては不幸でしかないですよね。しつけって概念は猫にはないだろうと思う。つまり、猫からすれば単なる無駄な作業でしかない。しかも、ここで挙げた例はそれをしないといけない理由はほぼ見出せないと思う。人間が自分で作った料理を台所で地べたで座って食ってて、誰か困るの?(笑)猫の場合には汚す可能性もあるけど、それはどこで食べても変わらないと思いますよ。そもそも猫は食後に毛づくろいをしてその足で床を歩いたり、床に落ちた餌を舐めて食べたりするので、日常生活の中で人間からすれば普通に汚い。この汚いって感情が出てくるのも人間の無能さを表していると思いますけどね。猫って、汚いって概念がないんじゃないか?と思うくらいの行動をよく見ます。例えば、他の猫が舐めた皿を平気で舐めますし、人間がまずとることができない汚いと思われる行動を平気でとる。それは汚いという概念がないのかもしれないけど、結局そういう行動をとった方が得なんだろう。損得で行動をしている結果、他の動物が舐めた皿を舐めるのは汚い、やってはいけないなんて発想にはならないのだ。こういう部分を見ると、人間って無能になるような遺伝子が代々受け継がれてるんだろうなと思う。猫の無能な部分も見つけようと思えば見つけられるだろうけどね。
ただ、そういう部分を分析すると、人間が無能か?どうかとは別に、飼い主が無意識にやっている行為は、猫などのペットにとって不幸でしかないことが結構見つかる。代表的なのは予防接種だ。人間は病気を防ぐために、注射という痛い思いをすることに意味を見出せるだろう。しかし、猫は無理だと思う。まず死という概念があるのか?も怪しいし、病気という概念があるのか?も分からない、さすがに予防接種という概念はないと思うから、猫からすれば、人間が感じる病気を防ぐというメリットを感じないまま、苦痛だけ味あわされている状況と言える。つまり、猫からすれば予防接種は単なる暴力なのだ。虐待と何が違うのだろう?と思えてくる。そもそも死という概念がなければ、死を恐れないはずなので、死を避けようとする行動をとるメリットはかなり小さくなる。そうなれば、明日死んだとしても、10年後に死んだとしても、猫にとっての幸福、不幸度合いは何も変わらないということ。短命や長生きって概念もないのだから。時間という概念はともかく、年齢や年数という概念は確実にないだろう。平均寿命という概念もない。死という概念がなければ、寿命という概念があるはずがないのだが。死という概念があるから、病気になりたくない、死にたくないという恐怖があるから、予防接種は意味があるのだが、そういう概念がない動物には予防接種の意味は理解できないし、さっきも言ったけど単なる暴力にしかなっていない。
つまり、私に言わせれば、予防接種は飼い主の自己満足でしかないということ。猫のためには全くなっていないのだ。予防接種をしないまま過ごし、予防接種をしていれば防げた病気にかかって死ぬことはあるが、予防接種をしても何らかの病気にかかって最終的には死ぬので、それはプラマイ0である。むしろ、注射の苦痛を与えるだけ、マイナス分があるだろう。猫のためにやっているかもしれないけど、猫のために一切なっていないのです。自己満足が100%なのです。予防接種を受けたさせた後にはご褒美で、豪華な餌をもらったりすることもあるのだが、それだって猫が予防接種と引き換えにもらえているものであるとは理解していない可能性が高いと思う。仮に理解していたとしても、予防接種とご褒美は絶対にセットにしないといけないものではない。ご褒美だけ与えるということも可能です。つまり、予防接種との引き換えであることを理解していたとしたら、引き換えなんかにする必要ないだろう!と考えられてしまうということだ。猫からすれば、単なる暴力にしかなってない予防注射なんかやめろ!豪華な餌だけよこせ!と思っていても不思議じゃないということです。予防接種の意味を理解していたら、あんなに嫌がって逃げるなんてことしませんよね。猫の場合には、単なる風呂で身体を洗ったりするだけで、すごい嫌がるケースもあるけど。結局人間が当たり前に抱いている発想とは明らかに異なるということが分かる。猫にとっては風呂ですら恐怖に感じる場合があるのだから、注射をされるなんて想像もできない恐怖なんじゃないか?1度されたことがある猫は特にそうだろうね。
あとは餌にしても、健康を気遣ってあまり好きじゃなさそうなものを与えることもあるが、猫にとっては何の意味もない。猫からすれば好きな餌だけを好きなだけ食べていた方が絶対に幸せなんだよな。人間とは住む世界が同じに見えて、見えている世界そのものは全く違うはずです。人間にとっての幸せを猫に当てはめようとするほど愚かな行為はないですよ(笑)人間に猫とかの他の動物の気持ちが完全に分かるわけはないと思う。というか、想像力すらないと思う。ペットを飼うというのは、もはや自己満足の領域だから、飼い主の自己満足に付き合わされるものだという認識でいればいいだけかもしれないがね。人間だって、親の意向や都合などで人生を狂わされたりする。そもそも産んでほしいなんて頼んでないのに、勝手に生みやがって!と恨んでいる人間もいるだろう。それが容認されるような狂った社会が、人間の住む社会だということだ。ペットの中にもここから逃げ出したいと思うほどの苦痛を感じているケースは往々にしてあるかもしれない。私はペットを飼いたいという気持ちはないわけではないが、恐らく飼わないだろう。単純に世話が面倒なので、Youtubeでそういう動画を見ている無責任な立場の方が圧倒的に楽なのだ。ただ、こういう動画を見ていると、人間が考えた幸せという概念が、そのまま人間以外の動物にも通用するはずだと思っているバカな飼い主は世の中にたくさんいるんだろうなとは思った。

猫を飼うのをすすめない11の理由
- 作者:響介
- 発売日: 2019/04/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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