正義と悪という概念は、非常に都合のいい概念として存在する。自分たちにとって脅威なものは悪であり、自分たちは正義である。そう信じて疑わない、思考停止になっている人は遍く存在するはずだ。正義と悪とは何ぞや?みたいに考察する人間はそうはいませんけどね。しかし、自分たちにとって脅威という部分は、世間の大多数が悪だと考えている側にも当然あてはまる。世間は悪と考える側を排除しようとするわけで、それは世間一般で悪とされている側から見れば、間違いなく自分たちにとっての脅威であり、彼らから見れば、同じ理屈を使って、世間は悪になる。基本的に世間が使う正義と悪の理屈は、全く同じものを使えば対照的な存在にも同じように当てはめることができるわけだから、この時点で正義と悪はこの共存しないことが分かるだろう。正義と悪という概念は、都合のいい状況を作るための社会の多数派による詭弁でしかないということ言える。今回紹介する作品には「この世の不利益はすべて当人の能力不足」というセリフが出てきますが、世間の都合のいい詭弁として、現実でも使われてますよね。でも、都合が悪いときには自分の能力不足ではなく、他人のせいにするのが世間なんですが。
・喰種が悪ならば人間も悪である
世間が自分たちを正義と言うならば、もはや殺人者も正義にできるし、殺人者を悪だとするならば、私たちも悪だろう。殺人は落ち度かもしれないが、じゃあ殺人に至った人間の側からすれば、世間に落ち度がなかったとは一切思わないだろうね。殺人に追い込んだ側の落ち度は一切非難されないという不可思議な状況がある。実際、自殺に追い込むようなことがあれば、その原因を作った人はバッシングを受ける。ならば、殺人の原因を作った、追い込んだ側も同時にバッシングを受けるような悪でなければいけない。実際、誰かが犯した殺人は、一部の人間や社会全体が追い込んだ結果というのはよくある話だろうね。社会の仕組みが違えば殺人を犯す必要なかったと言えるならば、間違いなくある殺人は「社会が原因」になっている。そんな部分を哲学的に考えさせるきっかけとなったのが、「東京喰種」という作品だ。東京喰種では、「 この世の不利益はすべて当人の能力不足」というセリフもそうだが、「この世界は間違っている」という、絶望と怒りが混じったセリフも非常に印象的なのです。ここでは東京喰種という作品について考察をしていきたい。
「窪田正孝『東京喰種』は世界を痛烈に風刺する “社会派映画”としての側面を読む|Real Sound|リアルサウンド 映画部」には以下のことが書かれている。
>人間(CCG)と喰種の争いを通じて、「善悪や正義とは何か」という疑問が浮かび上がった。喰種から見れば、人間が牛や豚を殺すように、自分たちも生きるために人間を殺すのは当然の摂理だ。しかし、人間からすれば、そんな喰種は殺人鬼も同然で、駆逐すべき対象となる。どちらの言い分も正しいといえば正しい。「戦争は正義と悪の戦いではなく、正義と正義の戦いだ」という言葉を思い出す。『東京喰種』では、人間と喰種がまさにそれぞれの正義をかけて争っているのだ。
>「この世界では我々こそが正義で、我々こそが倫理」、「この世界は間違ってる、歪めてるのは貴様ら(喰種)だ」と主張する人間。それに対して、「生きたいって思って何が悪い」、「あなた方が正しいとも僕には思えない」と反論する喰種。「なぜ世界から戦争がなくならないか」という問題について、作者がキャラクターを通して論じているように思えてならなかった。ただ世界平和を唱えるだけでは、この世から争いはなくならない。
この作品はグロい場面とかもあって、そういう作品という印象もあるかもしれないが、非常に考察のしがいがある。見ていて面白い。東京喰種という作品は面白いという表現もできるが、哲学的な作品なんです。私の東京喰種に対する感想としては、面白いというのもあるが、自分を含めた世界の人間の思考の浅さに気づかされる。「東京喰種(トーキョーグール)」という作品を知らない人に簡単に説明しておくと、東京喰種では、「喰種(グール)」という、人間とはちょっと違う存在が出てくる。ただ、この喰種は見た目は完全に人間であり、人間社会に一応溶け込んでいるように見せている。人間と喰種の違いは何か?と言えば、喰種は身体的能力が極度に高く、普通に戦ったら一般人は勝てない。そして、人間が通常食べる食事は基本的に受け付けないということ。喰種が食べるのは人間(喰種も含む)だけである。つまり、喰種は人間を殺さないと生きてはいけない。一部で自殺した人間を食べている喰種もいるし、喰種を食べるケースもあるのだが。
つまり、生きていくことが是だとすれば、喰種が人間を殺すのは不可抗力であることになる。ここが東京喰種の考察における重要なキーになるのだ。そして、喰種が生きることを是とするならば、その不可抗力も容認し、喰種が人間を殺すのは是にならないといけない。しかし、人間からすれば喰種によって殺されることを肯定できるわけがない。したがって、社会は喰種を排除しようと、殲滅しようとしているのだ。どちらの言い分もそうだろうなというしかない。哲学的な考察になってしまいますね。どちらも自分たちが生きるために当然の行為をしているまでだ。第3者の視点から、人間VS喰種を見ると、どちらも間違っているようには見えない。というのも、どちらも同じ理屈(自分たちが生きるために最善のことをしているだけ)を使っているわけだから。人間を食べないと生きていけないから人間を殺す喰種と、喰種に殺されないために喰種を排除しようとする人間、どちらも同じ目的に沿って行為をしているようにしか見えない。
・同じことをしていながら自分たちを悪人とは認めない連中
しかし、現実では一方の正義が絶対に正しいと主張してやまない輩が大量に存在する。この東京喰種の中に出てくる一般市民や警察(喰種捜査官を作中ではCCGと呼ぶ)も同じだろうが、このアニメを見ていると、どうも喰種側に感情が寄り添ってしまう。それは主人公やその周辺の人間の多くが喰種だから。喰種視点で描かれているがゆえに、肩入れしてしまう。続編にあたる東京喰種reでは、CCG側の視点で描かれるが、それでも最終的には主人公の喰種捜査官が喰種側につくことになるので、やっぱり世間一般では悪とされるような存在に主眼が置かれており、彼らなりの正義が描かれている。つまり、このアニメを見たときの私の率直な感想としては、人間を殺そうとする喰種の排除をしようとしている人間が悪に見えてくるのだ。どちらかというと、私は東京喰種reの方が面白いかな?と思いました。喰種にも家族がいるケースもあり、その家族の仲を引き裂こうとする形で警察が喰種を殺しにかかる。人殺しをやっつけようとする側が完全に悪にしか見えなかった。というのが、東京喰種を読み終わった後の素直な感想だ。正義や悪という概念なんて考えるだけむなしい。善悪を求めて自分に何の意味があるのだろうか?とも思った。だから、喰種が正義であるとも言い切れないし、どっちが正義で、どっちが悪かなんて考えるだけ時間の無駄とも思いました。
正義や悪を一方的に決めつける人間、現実で言えば殺人犯はたいてい悪人扱いされるが、そういう見方をすると様な人間が、私から見れば悪人です。善悪という概念をあえて使うのであれば。一方的に決めつけていいとは私は思わないが、世間がそういう理屈を使うのであれば、彼らと同じ理屈を使って私は彼らを悪人扱いするでしょう。殺人の有無や犯罪の有無で善人、悪人を決めつけるならば、自分たちの都合のいい観点からしか人を評価しないということだ。つまり、彼らの理屈を使えば、世の中のほとんどの人間は社会から洗脳されている悪人だということになる。東京喰種の考察としては、ここに尽きる。最も害悪な存在なのは、正義や悪を一方の視点からしか見られない存在である。そういう存在がこの東京喰種を面白い作品にしているのかもしれんけどね。フィクションだから、そういう存在がいても良いのだが、現実にいると困るわけだ。特定の人間を悪人だとののしるような人間が実際いるわけですが、社会のせいで悪人と言われるような行為をせざるを得ないのに、別の言い方をすれば自分を悪人と言うような人間が原因で、自分が悪人になっているのに、自分たちに罵詈雑言を浴びせるような連中は、やっぱり真の悪人だとされる方が、私からすればしっくりくる。
「自分たちは悪であるが、生きるために悪になるのはしょうがない(または相手側は正義だが、それを潰す側も正義である)」と認めれば、相手側の気持ちはまだ全然違うんだろうねと思えてくるのよ。つまり、不都合を強いられている相手側にとっての憎悪心のようなものが生まれづらくなるってこと。都合のいい社会を作っている側が自分たちを悪だと仮に認めたら、社会に恨みを持つ人間は絶対に減ると思う。つまり、犯罪も減る。しかし、自分たちが同じことをしているという認識がないのが、東京喰種に出てくる人間側だろうか?喰種側は少なくとも人間が自分たちを排除しようとする姿勢そのものは理解しているだろう。それは仕方ないことだと。しかし、それが仕方ないならば喰種がやっていることだって仕方ないはずなのだが、そうとは絶対に認めないのが人間だ。そういう人間は現実にも大量に存在する。喰種を悪としか見なさない強固な姿勢が、傍から見れば非常に愚かに見えてくる。一言で言えば、頭の悪い正義感丸出しってところだろう。
喰種が人間を食うのは殺人だが、人間が喰種を排除するのは殺人とは扱わないだろうからね。東京喰種の考察をしてみると、やっぱりそこに行き着く。都合のいいときだけ正義と悪という概念を使う存在に気付くのだ。世界から戦争が消えない理由、平和が訪れない理由がよく分かりますな。既得権益を持っている側が、社会で蹂躙されている側から恨みを持たれる。これが平和が乱れる原因の1つであるが、彼らは譲歩しようとしない。むしろ罵倒し、押さえつけるだけ。だから、余計に恨みを買い、争いがどんどんエスカレートする。例を出すならば、就活生は内定が欲しいから通常は企業に対して譲歩します。面接を受ける日程を企業に合わせて、会場に関してもわざわざオフィスまで向かうなど。内定が欲しいならそれはやって当然なんだろうが、内定が欲しいのに、自分の都合のいい日を指定したり、面接は俺の家でやるから、そっちが来い!とか言っていたら内定は取れないのだが、平和を願う人間がやっているのはまさにそれ。平和を乱す側に譲歩をしない限り、平和が訪れることは100パーない。それをやっても無理だとは思うが、それをやらない限りはさらに不可能である。平和が構築されるメカニズムを知らない、自分たちに危害を加えようとする人間のことを理解しようとしない姿勢ってのが、愚かな群衆の心理における真理だと思うのです。東京喰種を読むと、そういう感想が自然と浮かんできますね。
この国では後先考えないで首相や一部の国民がテロリストや犯罪者を挑発する行為に出るわけですからね。日本の危機がもたらされる確率をわざわざ高めている。私から見れば、こういう人たちは完全にテロリストや犯罪者と同一視しています。完全に社会の害悪なんです。平和を望んでおきながら、稚拙な想像力しか持たない、感情で本能的に行動するせいで、平和なんてずっとやってこない(笑)平和を望みながら、平和がどのようにして実現されるのか?その仕組みを一切理解していない。そして、世の中で危害を加える人間は常にいるが、そういう人間だって、世間から危害を加えられているという被害者意識は絶対にあるだろう。喰種のようにね。例えば、この世には法律がある。法律というのは特定の行動などを制限するための存在であり、国や多数の民衆にとって有利な内容である場合が多い。
ってことは、少数派の人たちにとっては不都合な内容になる場合もあるってことだ。これが何を意味するか?それは特定の少数の人間は、その法律によって常に蹂躙されている場合が多々あるってこと。法律によって恩恵を受けている人間もいれば、不利益な取り扱いをされる人もいる。つまり、法律が世の中に存在し、それを擁護している人間というのは、ある特定の人間にとってみれば、完全なる敵であり、自分をこんな目に遭わせていると感じさせる張本人にしか見えないわけだよ。法律というのも、結局は特定の層にとって都合のいい環境を実現するために、特定の層に不利益を与え続ける装置だから。だから、私は第3者視点で見ると、法律を破る人間と法律を制定する人間、擁護する人間は同じことをしているようにしか見えないのです。
・自己責任の定義も恣意的で都合よく決められてしまう
つまり、東京喰種での「この世の不利益はすべて当人の能力不足」というセリフは、半分は当たっているかもしれないが真理ではないとなる。なぜならば、能力がもっと高ければ不遇な目に遭うことはなかった。と言える余地は残るだろうが、それは社会が自分にとって都合のいい仕組みであれば、というのも同じである。社会は常に一定のルールで運営されているので、それがたまたま自分にとって不利な状況であったがためにこのような不遇になっているならば、それはどう考えても社会のせいでもあるだろうね。社会のせいにすると怒る人もいるけど、たいてい社会のせいにする人間性を批判するだけで、社会のせいにすることがおかしい理由を説明できる人間を見たことがない。原因が明らかにあるわけだから。
それに自己責任論を突き詰めれば、飛行機に乗って、その飛行機が航空会社側(パイロットや整備士など)のミスで墜落し、乗客が死亡しても乗客の自己責任にはできますよ。だって、人間が絶対にミスをしないことなんて約束できないのだから、確率は無茶苦茶低いかもしれないけど、飛行機が事故に遭う可能性はあるわけでしょ?それを認識したうえで乗ったんでしょ?飛行機に乗らなければ、飛行機事故の巻き込まれて死ぬ可能性は0だったんですよ?その可能性をわずかでも増やしたのは、あなたの(飛行機に乗るという)意思でしょ?ほら、完全に自己責任(乗客にも事故に遭ったことの原因が存在する)ですわな。でも、こういうことを言っても世間は共感してくれないのですよ。それは自己責任になるか?ならないか?の境界線というものは、世間の都合のいいように恣意的に決められるから。自己責任って言い方をされると自分が無能だと認識することになるから、そうならないように自分の日頃の行為が自己責任には該当しないように恣意的に境界線を決めるのです。
自分が共感するものとそうじゃないもので、自己責任として扱うのが適当か?どうかを決める。都合のいい線引きが行われる。そこに論理的な思考は存在しない。すべて感情論です。超絶自己中ってことですね。飛行機事故の例では、間違いなく乗客の意思が原因になっているわけだから、あなたのせいと言える余地はあるわけだ。航空会社側にも責任があるというだけ。航空会社がミスをしなければ、原因を作らなければと思う人もいるだろうが、それを言ったら社会の仕組みそのものに同じ不満を感じている人もいますよ。社会の仕組みが原因で俺はこんな目に遭っているんだ・・・と思っている人は絶対にいるよ。でも、そういう不満を封じ込めようとするのが都合のいいようにふるまう世間の多数派であり、善人ぶる連中だからね。この「この世の不利益はすべて当人の能力不足」のセリフに共感している人もいるみたいだが、彼らはこの超絶自己中な存在である可能性が非常に高い。
世間は社会のせいにする人間を基本的に嫌うだろうし、バッシングの対象だろうが、要はそういう人間を叩く側に回れている原因として、社会の仕組みが彼らに有利に働いている部分があるから。というのは否めない。社会のルールというものが全ての人間に平等に、全く同じように作用するなんてことがありえない以上は、社会のルールこそが、いわゆる勝ち組、負け組を決める大きな要素になっているのだから、 「この世の不利益はすべて当人の能力不足」とは言い切れない。仮に言い切るならば、過労死が自己責任っていうのも当然認めるべきなのだ。そういう社会が共感しない事柄は自己責任として扱わない姿勢でいつつ、そう言い切ろうとする人間がいれば、それはまさに都合のいいことしか言わない卑怯者としての存在なのだ。彼らは感情論でしか物事の善悪を考えられない、能力不足な人たちだから。だから、卑怯者になり果てる。卑怯者と言われてしまうのは、当人の能力不足なので、彼らの理屈を使えばこれも自己責任ですね。
・特定の人間を不遇に追い込んでおいて「自分たちは悪くない」の姿勢を貫く
ちょっと話は変わるけど、というか元に戻るけど、殺人事件が起きると「何の罪もない人間が・・・」とか言われることもあるが、そんな人間はいない。それは社会が作った都合のいい法律を破っていないという意味で、つまり犯罪を犯していないという意味で言われることが多いのだろうが、被害に遭った人たちも、生きていれば多くは法律を擁護して過ごしている可能性が高かったと思う。そうなれば、特定の層を苦しめる存在になったはずだ。つまり、罪を犯しても、犯さなくても、人間は全員罪深い存在であることには変わりない。そんなことすらも分からないのか?と、こういう表現をする連中を見て、むしろそっちに憤りが私の場合は生まれる。誰かの利益を優先すれば、それによって不利益を被る人たちがほぼ確実に生まれる。それがトレードオフの概念であり、社会にはそういう仕組みが存在する。殺人が誰かを苦しめるから罪ならば、被害に遭った人たちもその罪に該当する生き方をする可能性は非常に高い。生きながら誰かを苦しめ、最悪の場合に死の原因を作る可能性も考えられる。私も当然法律を基本的に擁護しているので、私も当然罪深い人間です。誰かを苦しめる元凶になっていることは認めます。自分を善人だなんて、これぽっちも思えませんし、思いたくもない。私はそんな頭が悪い傲慢な人間ではない。
どっちも自分たちの都合のいい行為をしているだけ。罪が一切ない人間なんかこの世にはいませんよ。まあ、罪の定義を例のごとく、都合のいい線引きで決めるなら話は違いますが(笑)都合の悪い法律を破るのも、都合のいいように法律を制定し強制させるのも、どちらも目的は自分たちの利益を最優先しているという点である。しかし、世の中では、例えば殺人罪という刑法上の罰則を支持する人間が多いので、人殺しは叩かれるというだけ。でも、死刑は賛成する人間が多いんですよね。都合の悪い存在は排除して良いという思想から来ているのだろうが、私の感想としては、都合の悪い存在を都合のいい線引きで区別してるんだなと。数の暴力、分かりやすく言えば、単なるいじめとも言えるだろうね。人殺しはなぜ人殺しになったのか?そこに至るまでの原因を作った世の中の仕組みなどは一切批判されない。自殺に追い込む人間は叩かれるが、殺人に追い込んだ側の社会は、一切悪くない姿勢を貫くだけ。自殺に追い込んだ人間を叩いても、たいていは自分たちに不利益はないが、殺人に追い込んだ原因が社会にあると認めたら、自分たちが悪いことになるからね。幼稚な精神の持ち主が世の中には多くいるんですよ。喰種をせん滅するだけで、自らの正義の主張をやめない人間や警察のように。
このアニメはフィクションだから、そういう姿勢を崩さない人間どもが喰種にやられる場面が映っており、ざまあwwwと思えるような自業自得な面も存在する。ある意味、世の中で起きる凶悪事件というのも、そういう意味では都合の正義ばかりを貫く民衆に対する、ある種の反逆という見方もできるだろう。東京喰種の考察をこうやってしていると、やっぱり世間ってバカだなという感想しか出てこない。いかに愚かな民衆が大量にいるか?愕然とする、そんな感想が脳内を占めたのだ。民衆がそういう姿勢を貫き続けるならば、こういう事件は永遠になくならない。無敵の人みたいな層が生まれる原因を放置している限り、定期的に起きるだろうね。それも私から見れば自業自得にしか見えない。無敵の人を煽るような発言をする人がいるわけだから。そういう私から見れば頭がおかしい人がいる限り、こういう事件は絶対にまた起きると思うよ。無敵の人を放置しただけではなく、無敵の人を煽るような発言をする人を放置した結果ならば、それは完全に自業自得だね。こういったところを見ると、東京喰種という作品が評価が高い理由がなんとなく理解できます。現実に存在する問題に関して、相手方に対する理解を示そうとしない姿勢、これこそが数多くの事件の根底の原因になっている。民衆は自分たちの脅威となる存在を悪く言ったり、さらに不利益に扱うために制度を創設したり、変革したりするだけ。お互いが気持ちよく生活するためにはどうしたらいいんだろう?なんて発想はほとんどないだろう。
・平和が実現しない方がむしろこの世の中としては自然
東京喰種の作品内では、喰種が人間と打ち解けようとする姿勢は多分に見られる。普通に学校に通い、お店で働いている喰種がいるからだ。そして、自分の正体を明かさないで人間と付き合っていくのである(一部、正体を明かしたうえで上手く関係を築く者もいるが)。人間しか食べることができない喰種が、人間の食べ物を無理に食べるように(後で吐いている)して、人間であることを装いながら生きていくのだ。喰種にとって、目の前にいる人間は単なる食糧なのだが、それを食べないで、殺さないで付き合う姿勢が感じ取れる。自分たちを排除しようとしている人間を恨むのではなく、彼らとどうやって共存をしようか?そこをちゃんと考えているのだが、東京喰種の中に出てくる人間や警察、そして現実世界に存在する人間や警察は、やっぱりそういう姿勢はない。東京喰種reでは喰種側が喰種と人間が共存しあう社会を作る目的の組織を作り、強制的に人間らを話し合いの席に着かせようとする描写がある。駆逐するという発想しかないCCGとは違う。喰種は喰種同士絆を持ち合いながら仲間を守ろうと必死で行動し、CCGらを殺そうとすることもあるが、そこは人間と変わらない。世界中で人を殺しまくっているテロリストとかも同じなんだと思うよ。彼らなりの信念をもって、仲間を信頼し、自分たちが敵だと、悪だと認識している人間に立ち向かってるんだろうなと思えてならない。
冒頭でもあった、なぜ戦争がなくならないのか?についても、すでに話したように原因は同じ。それはお互いが譲歩しないからだ。戦争というのは話し合いが行われ、お互いが少しでも譲歩し合えば未然に防ぐことができる。しかし、お互いがそれぞれの利益のみを優先し、相手国に譲歩するという気持ちが一切ないから起きるのだ。現代で平和が実現しない理由と全く同じです。自分たちに有利なルールを適用されているのをいいことに、不遇を受けている人たちに譲歩する姿勢なんかないでしょ。多くの人は東京喰種にあるような「この世の不利益はすべて当人の能力不足」という気持ちなんですよ。太平洋戦争のドキュメント番組を視聴すると、当時の日本とアメリカの首脳はどっちも「ガキだなこいつらwww」としか思えないね。お互いにほとんど譲歩できない、わがままなガキみたいな大人ばっか。本当に無能ってのがよく分かる。戦勝国である連合国が敗戦国の日本を裁こうとする姿勢なんかまさにガキだよね。日本と同じことをしておきながら、自分たちは悪くないって姿勢ですからね。お前らも十分に悪人だろうと、勝てば官軍なんて発想は悪人が自分たちが悪ではないということを言うときの詭弁なんですよ。一般的な社会で平和が訪れない理由も、既得権益を持っている側が譲歩しないから。自分たちに有利な社会のまま、平和を望んでいる(不利な状況で生きて恨みを持っている人間に対して、反撃してくるなと言っている)わけだから、自分たちだけいい思いをし続けようとする姿勢なわけだから、恨む人間が出てくるのは当然だろうな。
大分話は逸れたけど、東京喰種の考察をきっかけにいろいろなことを考えると、結局、過去も現在も多くの人はまともな想像力が欠如している。平和のためにやっていることが結果的に挑発につながり、憎悪心を爆発させ、脅威が実際に牙をむく。その歴史は何度も繰り返されてきたはずだが、愚かな民衆や政治家は、その歴史を今後も繰り返すのだろう。喰種に殺され続ける人間のように、現実でも誰かに殺される人が後を絶たないのは、世間が、人間があまりにもバカすぎるから。という、想像力と学習能力の欠如が最大の原因なのです。そもそも私は平和な社会が正しいとは一切思えませんが。争いが起きる状況こそがむしろ自然だと思います。人類の歴史で争いがなかった瞬間なんかないでしょ?それを無理やり実現しようとしているわけだから、平和なんて状況はかなり不自然な状況なのです。それに社会の特定の層にとって恨まれることをしているのだから、恨む人間が出てきてしまい、結果的に社会を乱す行為が行われるのも容易に想像ができますから、自然な状況なのです。これは善悪ではなく、あくまでも客観的事実としてね。それに平和を守ろうとする側も、平和を乱そうとする側も自分たちの利益のためにやっているのだから、どっちが善で、どっちが悪であるとか、客観的に見たら決められません。
ちなみに東京喰種が気になる人は漫画とアニメを両方見た方が良いと思います。この作品の雰囲気を存分に味わうならば漫画だが、漫画だとちょっと話の流れが分かりづらいところが結構あると思いますから、それをアニメで補完すると、全体的なストーリーが理解しやすいと思うのです。この作品を見ると、ほとんどの人が単なる「人殺し」と社会から揶揄されそうな喰種側に寄り添ってしまうんじゃないですか?逆に言えば特定の人間に対する印象なんていうのは割と簡単に変わってしまうものであり、殺人犯などの犯罪者をたたいている連中の脳内の思考も割と簡単に変えてやることは可能なんだと思いますよ。すると、彼らも気づくでしょうね。私たちが自分の印象や社会からの洗脳でほぼ決めている正義と悪の概念なんて、とんでもなく脆く無意味な存在だということに。

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