戦後から高度経済成長期にかけて、日本では冤罪が非常に多く発生していたはずだ。それは警察が容疑者の自白を強要していたから。現代は容疑者の自供以外での証拠がなければ有罪にできなかったと思うが、当時はそうでなかったため、自白こそが最大の証拠であるとされていたのです。それによって警察はいかに容疑者に自白をさせるか?に躍起になり、それが後に世間に明るみになり、問題視されるようになる。自白さえあれば有罪にできるならば、警察がそれを強いるのは目に見えると思うのだが、当時の人間はそんな予想もつなかったのだろうか?というのは疑問である。そういう実態は現代ではだいぶ減ったとは思うけど、残っている。残っているというのは警察内部にというよりも、日本社会そのものに残っているのだ。それがマスコミと大衆の存在だ。現代日本では、マスコミと大衆により、同じようなことが行われている。無実の人間がなぜか悪者にされてしまうという構造が存在し、その原因を作っているのはマスコミと大衆である。
具体例を挙げると分かりやすいかもしれないが、何年か前に話題になった次長課長の河本準一さんの生活保護の問題が特にそれである。当時は彼の母親が生活保護を受給しており、それなりに高収入を得ていた河本さんがいるのに、なぜ母親は生活保護を受けるのか?という疑問がまずあり、「タダならばもらっておけばいい」という発言もあり、世間的に河本バッシングが加速したのだ。その結果、彼はなぜか謝罪会見を開くという顛末です。今更ながら私はあきれている。戦後に日本に存在した警察組織と一切変わらない状況がここにあるのだ。調べれば簡単に情報は見つかるが、当時の河本さんの対応に不備は一切ない。感情的に許せないとか問題はともかく、制度上の不備はなく、河本さんの母親は不正受給でもなく、河本さんの対応自体も問題はないとなっている。つまり、客観的に何も悪事を働いていない人間が、最終的に「自分のしたことは悪いことだ」ということを認めさせ、謝罪までさせられている。これはまさにマスコミと大衆が完全に原因になっています。マスコミが報道をし、それに食いつき、感情的に叩きまくる大衆がいたからだ。結果、無実の河本さんはなぜか悪いことをした人間みたいな状況になってしまったのだ。謝罪会見にまで追い込んだわけだから、大衆は「ざまあみろ」と思っていたかもしれないけど、これはまさに自白の強要(自分が悪いことをしたと認めさせる)行為に他ならない。当時の警察は暴力行為をなどを働いていたため、容疑者も苦痛から逃れるために自白をしていたのだが、この例では世間の過度なバッシングに耐えかねたために、さらには事態を収拾しないと仕事に影響が大きくなりすぎるという懸念があったために、同じく苦痛から逃れるために謝ってしまった方が良いだろうという気持ちになったと思われる。構造はほぼ同じです。
タダならば貰っておけばいいという発言に関しても、それは当然事実でしょう。タダでもらえる(受給資格をちゃんと満たしている)ならば、貰って何が悪いんでしょう?と、私も思います。ルールに則って生活保護を利用している以上、その利用者に文句を言うのは筋違いだ。制度に文句を言うならばわかるが、大衆は頭が悪いからそんなことはできない。むかつく人間がいたら、その本人を叩くのだ。そのむかつく人間がそもそも生まれた原因は別のところにあるのに。本当に理解できない行動を平気でしますよね。実際、昔の警察がやっていたことは真実を捻じ曲げる行為なわけです。真犯人か?どうかも分からない人間を有罪にしようとして、警察のメンツを保とうしていたのだから。現代のマスコミや大衆がやっているのも同じ、悪くない人間を悪者に仕立て上げた時点で、完全に真実がねじ曲がっています。悪くない人間に、自分が悪かったと自供させた点も同様だ。これが大衆は正義だと思っているのでしょう?真実を捻じ曲げて、無実の人間を悪者に仕立て上げる。これが日本人は正しいと思っているわけです。全員が河本叩きをしていたわけではないが、結構多くの人が叩いていたと思われる。その結果、何も悪くない人間が好感度が下がったという理由で、テレビなどからしばらく姿を消しました。テレビ局の対応はいじめそのものにしか見えないが、利益を優先するならば腫れものを隠しても良いってことなんでしょうね。
マスコミが報道をするのは、そういうネタに大衆が食いつくと予想ができるからだろう。マスコミにとっては真実がどうであろうが知ったこっちゃないのだろうが、真実を捻じ曲げる原因になっているのは間違いない。マスコミで働いている人の頭もそういうことなんだろう。直接の原因はそのネタに飛びつき、知識もない人間が感情論で、無実の人間を叩いたことだけどね。だから、こういうことが起きる原因のうち、大きいのはやはり大衆の方です。大衆は常に頭が悪いから、そういう論理的整合性がとれないようなことを平気でするのは私も予想ができる。マスコミも当然分かっているだろうね。ってことは、そういうことが起きても構わないというのがマスコミの姿勢なんだろう。大衆にこういう情報を提供する時点で、こういうことが起きるのが目に見えている。あとはネットの存在も大きいだろう。ネットの存在により、特定の人間を叩くのが容易にできてしまう。大衆にネットを与えるのは、人を殺そうとしている人に包丁を与えるのと同じだと思った方が良い。その頭のおかしい人の割合が大衆の中で非常に高いってこと。だから、こういうことが起きる。現状、個々人のネットの使用を規制することはできないのだが、マジでネットは大衆が利用すると凶器になる。さらに言えば、スマイリーきくちさんの事件とか、舛添知事の一件も同様だけど、結局のところ的外れなバッシングをして、特定の誰かを叩いていた人間が、一切制裁を受けていないというのもこういうのが継続する理由だろうと思う。つまり、そういう人間が放置され、増殖するのは、そういう目に遭った人がある種の原因になっている面もあると言えるのかもしれない。被害に遭った側が制裁を課すことをしないってのは間違いなく原因になっている。
原因はともかく、日本人の多くは客観的なものではなく、主観的理由で善悪を決めつける。主観的な理由で良いならば、批判された側も主観的な理由で、別に良いだろ?と返すことも容易なのだが。客観的に悪だと言える理由を問うても、普通はこうだろ?とか、お前にはまともな人間じゃないとか、論点ずらしに走る人間が多いだろうと想像できる。河本バッシングに関しても、自分が高収入ならば自分で面倒を見るのが普通であり、生活保護を頼るのはおかしいという感情的に理由が多かっただろう。感情的な理由で善悪を決められたらたまったものではない。事実上、法律上が存在しないということだ。そもそも自分の感情に照らしておかしいと感じることを批判する人は、自分の思い通りに全て世の中が進むべきとでも思っているのかな?いや、そんなことはない!と言うかもしれないけど、そんなことないってことは自分の感情に反する行動の中で叩かないものがあるってことになるけど、その叩く、叩かない基準は何なの?その基準を決めることの正当性は?という質問をして、すぐに答えられなければ、その人は適当なことを言っているだけとなるだろう。基準なんかないわけだから、本能的に判断しているだけなのだ。つまり、適当なことをぬかしているだけとなる。自分の感覚のみで善悪を判断される社会っていうのは、無実なのに悪者にされてしまう人間を大量に生産するわけだが、日本人は、大衆はそれが正しいということなんでしょう。もう付き合いきれない。だから、私もう日本人にはかかわらないようにしている。頭が悪いというよりも、頭がおかしい、狂ってるという評価がお似合いだろう。日本には紅林麻雄みたいな人間が大量にいるのだろうから。それだけとんでもなく危険な国ってことなんですよ。

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