2018年7月25日放送の水曜日のダウンタウンで、芸人のあかつさんが国道を歩いて、タバコの吸い殻をひたすら拾っていき、その吸い殻を全部合わせて、枕の中身にするという企画をやっていたのだが、その企画をしているときに、ある車の運転手が、あかつさんがタバコの吸い殻を拾っていることを確認したうえで、吸っていたタバコを道路に投げ捨てたというシーンが映っていたのです。このシーンを見た直後、スタジオの出演陣は挙って「最悪・・・」とか、「こんなやつおるんや?」みたいな唖然とした感じだったし、視聴者の反応も同じような感じだ。ただ、私は何でこのシーンで特別にそんなに怒るのだろう?という気がしてならない。特に視聴者の反応をネットで見てみると、この企画は合計で約1万本の吸い殻を拾ったみたいなのだが、その1本だけに批判が集中し、残り9999本に関してはスルーとなっている状況でした。私はこの状況が全く理解できません。そもそもポイ捨てがいけない理由はなんだろうか?ポイ捨てがなぜいけないのか?というのは、1番メインの理由としては街が汚くなるからではないか?と思う。ポイ捨ては何が悪い?という部分は多くの国民は頭の中に入っていると思うのです。しかし、ポイ捨てがいけない理由を知っているのに、何でこのシーンに特別にこんなに怒るの?というのは気になる。というのも、この状況で例のドライバーが、さすがにタバコの吸い殻を拾っている人の目の前でタバコをポイ捨てするのは気が引ける・・・と仮に思ったとしよう。それで何の解決になるんだ?と思う。つまり、このドライバーはあかつさんの目の前では捨てないかもしれないけど、結局別のところでポイ捨てするんですよ。結果は変わらないどころか、そっちの方が最悪だと言える。
なぜならば、あかつさんの目の前で捨てれば、彼がすぐに拾ってくれるという期待が持てるから。つまり、道路に捨てられたタバコの吸い殻を早く回収した方が、道路がそれだけ汚れないで済む。例のドライバーが別の場所で捨てたとなると、それが回収されるまでに時間がかかってしまうので、道路が汚れやすくなるのです。つまり、例のドライバーが良心的なんて評価をするつもりはないけど、例のドライバーだけに特に怒る理由はないんですよ。ポイ捨てをしている人たちに対して平等に怒れば良いはずです。その他のポイ捨てをしている人たち以上の行為をしているとは、私は評価ができないのです。ポイ捨てがなぜいけないのか?という理由を鑑みたときに、このドライバーが他のポイ捨てをしている人間と比べて、特別に悪質なことをしているか?と言えば、していないのですよ。どう高く見積もっても、他のポイ捨てをしている人と同じレベルです。でも、人っていうのは目立つ存在を絶対に叩くんですよ。ポイ捨てをする人はたくさんいると。しかし、ゴミなどを拾っている人の目の前でポイ捨てをする人は確かに圧倒的に少ない。圧倒的に少ないから目立つ。目立つから叩かれる対象になるが、彼らが叩かれることで、要はそれ以外のポイ捨てをしている人は叩かれづらくなってしまいます。当然ながら、それ以外のポイ捨てをしている人の方が圧倒的に多い。結局、世間の圧力は少数派に向かい、悪影響をもたらしている多数派に向かわなくなります。
学校でいじめが起きて自殺したなんてニュースがあれば、だいたいその加害生徒が叩かれますが、要はそういう事態にならないと世間はほとんどスルーですからね。そもそもの原因であるいじめ自体を日ごろから叩いている人間は圧倒的に少なくなります。自殺みたいな結果が起きないと、世間は反応しないんですよ。でも、当然ながら日ごろからいじめのようなことが日常的に全国で起きているっていうのは誰でも想像できるんですよね。で、そのいじめ自体を叩けば結果的に自殺という結果も防ぎやすくなるのだが、世間は目立つ存在ばかりに食いついて、日常的ないじめを日ごろから叩く人は少ない。自殺までいくいじめは叩かれるけど、そのレベルまでいかないいじめは叩かれないから、そのレベルまでいかないいじめを加害生徒が精神的にしやすくなってしまうわけです。彼らは本当にそれが問題だと思って叩いているのか?非常に疑問です。ポイ捨てに関しても同じ理屈で、そのレベルまでいかないと大々的に叩かれないとなれば、普通のポイ捨てをするハードルが低く感じてしまうでしょう。結局はポイ捨てに関しても、ポイ捨てがいけないと思っているならば、より大きな範囲で叩けば良いのに、なぜか目立つ一部の存在のみを叩く人が多くいるんですよ。例えば、女性差別NGとか言っている人もいるけど、その人は差別全体じゃなくて、特定の差別のみ批判をしているわけだから、この人は差別それ自体は絶対に問題とは思っていないと評価できるわけですけど、それと同じだと思うんですけどね。男性差別は良いの?他の差別は良いの?って私ならば思いますよ。
ポイ捨ては何が悪いのか?という理由はみんなちゃんと把握していると思います。ポイ捨てはなぜいけないのか?の解答を知っているならば、その理由に該当するものを全体として批判をすればそれで済む話なのです。いじめで自殺することが問題だと思うならば、いじめそれ自体を日ごろから批判すべきだと思うけど、それをやる人は少ない。だから、そもそも自殺の原因になるいじめ自体が抑止されづらくなる。すると、結果としていじめによる自殺はなくならない。ポイ捨てがなくならない理由もそれに近いんじゃ?と思えてきますけどね。要するにポイ捨てという行為に悪質性の段階を設定してしまっている状態で、より高次元の悪質性のみに反応するから、より悪質性が軽いものがスルーされてしまいます。まあ、今回の企画に関してはスルーされた方がより悪質な状況だと、私は思いますけど。そもそもこんな企画をやらなければ、ポイ捨ての問題について日ごろから考える機会すらない人も多くいるというのが現実でしょうけど。ポイ捨てがいけない理由が街の景観などの配慮ならば、例のドライバーがした行為は、その目的を達成するうえでは、他のポイ捨てをした人よりもまだマシなんですよ。目の前で捨てられるという行為は腹立つかもしれないけど、結果的にそういうケースの方が街の景観は守られやすいわけです。
さらに言えば、タバコの火の始末が不十分の場合、投げ捨てた場所によっては火災の原因になる可能性があるわけで、そのときに誰もいないような場所で捨てるよりも、すぐに気が付きやすい人の前で捨てた方が、そういった事態を避けやすくなると思うのです。誤解を生まないために言っておくけど、私は人前で捨てるのが良いというスタンスではなく、ポイ捨てをする人だけに限定した話をしたときに、人がいないようなところで捨てる人と比べたらまだマシじゃないの?と思うのです。少なくとも、人前で捨てない人よりも、人前で捨てる人の方が悪質という見方は適当ではないと思います。でも、こういうケースに怒るってことは、街の景観とか、火災の原因になることよりも自分の感情の平穏の方が大切なの?と私は思えてくるのです。さすがにそんな人はほとんどいないのでは?と思いますし、だったら特定の対象に対する怒り方おかしくない?と思います。彼らが怒っている理由の正当性が本当にあるのか?が分からなくなります。だから、ポイ捨てを批判する人が本当に街の景観の配慮などから怒っているのだとしたら、例のドライバーに特別の敵意をむき出す必要性がないですし、ポイ捨てする人全員を平等に批判した方が良いと思うんですよ。ポイ捨ては何が悪いのか?それを理解していない人はしょうがないかもしれないけど、ポイ捨てはなぜいけないのか?を知っている人ならば、ポイ捨てを全体として根絶できるような批判の仕方をした方が良いじゃないですか?そっちの方がポイ捨ての数は減ると思いますけどね。個人的にはタバコをこの世から根絶してほしいと思っていますけど。

日本の風景・西欧の景観 そして造景の時代 (講談社現代新書)
- 作者: オギュスタン・ベルク,篠田勝英
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