はれのひ騒動から約1ヶ月くらいが経っているが、私はこの事件をきっかけに、成人式の存在意義が益々分からなくなってしまった。晴れ着を着られない女性が多数存在したことで社会問題になったが、この事件があれだけ騒がれたこの要因として、成人式の慣習というものがあったと思います。それは成人式は(特に女性が)晴れ着を着て、かつての旧友と再会する場という価値観が大いに存在していると思うのです。つまり、彼女らは成人式に出られなかったわけではなく、晴れ着を着られなかったことにショックを受けているのでしょう。でも、成人式の日に着られなくても、他の日で着られるのならば良いじゃん?っていう意見は恐らく意味を持たない。なぜか?というと、自分が晴れ着を着るだけでは満足できないからでしょう。晴れ着を着る人が一堂に会する場に自分もいたいという欲求が恐らくあるからなのだ。だから、成人式でもない日に晴れ着を着ることができたとしても、その価値を見出せる人は少ないのではないか?と思う。つまり、成人式の役割はもはや式自体には意味がないというか、意味を感じている人はかなり少ないと思われる。
要するに、彼女らの目的は晴れ着を着て、かつての旧友らと再会し、談笑する機会が重要なのであって、それが成人式である必要がないということも言えるでしょう。その機会というのが、日本では成人式と大学の卒業式くらいしかないため、非常に貴重になってしまっている。人生で2回くらいだろうか?だからこそ、そのチャンスを潰されたことに怒りを覚えた人が多くいたのだろう。業者のやったことは非難されるべきことかもしれない。しかし、この事件を振り返ると、その業者の問題とは別に、やはり成人式はなんのためにあるのか?が余計に分からなくなる。実際に成人式はいらないと評する人がいます。すでに話したように、成人式の存在意義は私には理解できない。成人式は意味ないと評する人もいるし、廃止して良いのでは?という人もいる。特に成人式の廃止論を唱える人は、式で暴れる若者などを問題視していることが理由の人もいるみたいだが、私は違う理由で廃止論を唱えたいと思う。私は成人式は確実に代替が可能なものが存在するので、式を税金を使ってやる必要がないと考えているからだ。そこが成人式がいらないというか、成人式である必要性がないという理由なのだ。全員がそうというつもりはないが、大勢の人にとって成人式に出る目的は、式に出たいからとか、市長の話が聞きたいから。ではないと思う。すでに話したように、中学時代の人たちと再会するまたとない機会だからだと思われる。
つまり、それはもはや同窓会なのだ。そして、たいていの場合では成人式の後に同窓会をやるケースが多い。つまり、同窓会の場が成人式に求められている機能を果たしてしまっているので、同窓会だけで良いじゃん!と思うわけです。成人式はなんのためにやるのか?というときに、もはや伝統だから。慣習だから。くらいしか理由がない。成人式をやらないと困る人がいるか?というと、あまり想像できないのだが、いたとしてもかなり少数派な気がします。その困るっていうのも、心情的な問題であって、経済的な損失などの現実的な問題ではないと思います。晴れ着の業者とかも、成人式が廃止になっても、同窓会の場で晴れ着を着る慣習が残れば、打撃はない。結婚式とかもそうだけど、1日のためにすごい大金を使うこと自体も批判している人もいるし、それ自体が疑問視されている面もあるわけだが。成人式がなくなったら何が困るのか?というと、特別困る事態は想像できないのですよ。成人式が税金で運営されていることを踏まえると、市民が成人式の是非を考える権利は絶対にあるはずで、あとは必要性の有無について、どれだけ他者を説得できる材料があるか?ということになります。要は人生の中で思い出に残る瞬間の1つでもあると思うので、そこに価値を見出す人もいると思うのだが、それは同窓会であっても良いんじゃないか?と思います。
成人の日に全国の中学校とかで同窓会を開催して、それに参加するような慣習が残れば十分な気はしてきますけどね。自治体によっては、はれのひの被害に遭った人たちのために、もう1度成人式を開催することを検討していたところもあるみたいだが、それをやるくらいならば、金銭的な理由で晴れ着が着られなかった人たちは、市に訴えればお金出してもらえたんですかね?っていう疑問は残る。だって、自治体がそういう計らいをする目的は、やっぱり晴れ着を着るチャンスを与えたいってことだと思うんだけど、じゃあ、お金がないから晴れ着を着れない人たちも訴えたら晴れ着の代金を出してくれたのかな?というと、そんな動きは聞いたことがない。つまり、自治体がなぜ税金を再度投入してまで、もう1度成人式をやろうとしたのか?と言えば、被害に遭った人がある程度大勢いたからであり、社会的な影響もあったからでしょう。お金がないから晴れ着を着れない人というのは、数としてはそんなに多くないはずで、無視されてしまう可能性も十分ある。つまり、自治体にとっては多数の利益は重要なわけですよね。これは国も同様だけど、多数の利益を保護するというのは使命でもあり、基本方針のような部分もある。じゃあ、成人式がなくなって現実的な問題として困る人というのがいるかもしれないが、少数派なのは間違いないと思うので、国や自治体の姿勢からすれば、成人式の廃止論は妥当性を持ってしまうと思うのです。
成人式は意味ないと評する人も多く、私も成人式はなんのためにあるのか?は正直理解できない。その存在意義が現実的な合理性という観点からは見いだせないため、成人式が意味ないとする意見が理解できてしまう。同じような理由で国公立の学校の入学式や卒業式もいらないと思っている。あれもないと困るわけじゃないでしょう。ただ、開催されるのが当たり前となっているから、今更廃止なんて言われたら違和感しかない。ただ、それだけだと思うんですよ。成人式はなんのためにあるのか?ということを新成人が考えているケースは少ないと思う。やるのが当たり前で、出る人も多くいるし、自分も出たいと思った。という人が多い気がします。私もそうでしたよ。あれからそれなりに年数立ちましたけど、成人式に出てよかったとは思えませんね。でなくても良かったなという意識の方が強いです。成人式の廃止論に関してはいろいろな意見があると思いますけど、成人式がいらないとする声は恐らく年々強くなる気がします。廃止される可能性は低いが、結婚式という文化が日本では廃れつつある状況をみると、同じような理由で成人式も世論としてはいらないのではないか?とする声は大きくなる気がするのです。最近だと年賀状やバレンタインが代表的かな?これらは税金が使われているわけではないが、慣習で続いてはいるけど、そもそも必要なの?とか、なんのために?とか、当たり前になっているモノに対して、そういう疑問を持つ人が増えてきたことは、個人的には良い兆候じゃないか?と思っています。

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