就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

他人の臭いにうるさい人はなぜ鼻栓をするという発想を持てないのか?

【スポンサードリンク】

「スメルハラスメント」なんて言葉があるのだから、人間は臭いにうるさいってことなんでしょう。特に電車やバスの中といった人が密集する場所においては、その問題は顕著みたいですね。そんなニュースが「電車でお菓子を食べる子供を男性が注意 母親のひどすぎる反論に「スカッとしない」の声 | ニコニコニュース」に載っていたのだが、このニュースを見て、私はとんでもなくくだらないことで騒いでるんだな(笑)と思ったけどね。スメルハラスメントって、本来は別に大した問題でもないのに、何でこんなに騒ぐのかな?対策が容易なのに、何でそれをしないのかな?というのが不思議でしょうがないのです。

 

>多くの人が利用する公共交通機関だが、ルールをマナーをめぐってトラブルになることも珍しくない。とくに、まだ幼い子供をめぐってはさまざまな問題に発展することも。 この問題について、女性限定匿名掲示板『ガールズトーク』でのとあるトピックが話題になっている。

投稿者が乗っていた電車内で、幼児がビスケットを食べていたようだ。甘いニオイが車内に充満しはじめると、幼児の隣に座っていた中年男性が「クサいから今すぐしまえ。公共の場で迷惑だ!」と子供に激怒したという。

すると、幼児の母親が「アンタの体臭も相当ヤバイけど? 迷惑なんだけど!」と中年男性に反論。その結果、車内がシーンと静まってしまったとのこと。 その様子を見ていた投稿者は「たしかにビスケットは甘い香りがしてたし、おじさんも確かにクサかったし」と両者の言い分も理解できるとしたうえで「どっちも間違っちゃいないけど、なんか微妙な感じでした」と複雑な思いになってしまったという。

 

一方がお菓子の臭いが気になって、もう一方が指摘した人間の体臭が気になっていると。少なくとも、お菓子を食べていた子供の親は、あくまでも臭いを指摘されたことに対して反論として体臭を指摘したのだから、元々は指摘するほどのものとして感じていなかったか、感じてはいたが許容してたか、のどちらかでしょう。この状況を見ると、子供が食べていたビスケットの臭いを最初に指摘した中年男性がまず問題だと個人的には思っている。というのも、スメルハラスメントは対策が容易だと書いたけど、この状況でも容易なわけですよ。鼻栓をしておけばい良いんですよ。鼻栓をすれば基本的に強い臭いもほとんど感じないと思うので、この中年男性はそもそも迷惑に感じることはなあったと思うんです。逆に言えば、体臭が気になる側としても、鼻栓をしておけばよかったのです。これで万事解決じゃないですか?だから、何でそんなことも思いつかないのか?何でそんなことをしないで他人の臭いを指摘しているのか?が私には理解できません。社内でお菓子を食べるのが禁止されている状況なら良いんだけど、そうじゃないならばお菓子を食べるのが迷惑だとしても、それをやっちゃいけないと指摘する側に正当性はありません。迷惑だからが理由ならば、中年男性の体臭も迷惑なのは一緒なのです。

 

「身体的な問題を指摘してはいけない」という声もあるようだが、身体的な問題だろうが、なんだろうが迷惑行為には違いないのだから、努力できる限りはすべき。という反論は間違っていないだろう。体臭はしょうがないが、お菓子に臭いはしょうがなくないというのは、それを主張する人の勝手な感情論でしかないので、正当性はない。都合の良い部分で線引きしているだけなのだよ。体臭というのは加齢臭になどで、全員が少なからず発生させてしまうものであり、全員が自分もその加害者になりうるものだと認識できるから、「しょうがないもの」と結論付けたいだけ。一方、車内でお菓子を食べたい気持ちというのは、全員に生じるものではないので、そんな気持ちにならない側からすれば、その気持ちが理解できず、それは「しょうがなくない」のだから我慢しろという発想になるのだろう。いわゆる少数派の気持ちが理解できない層は、こういうことを言う。LGBTへの理解の問題にも関係していると思うが、多数派の迷惑はしょうがないが、少数派の迷惑は悪いことという都合の良い線引きをする人間が日本人(世界も同じだろうが)にはたくさんいるんだろうということは、とっくのとうに気付いていたが。だから、この記事のタイトルにも母親の反論が「ひどい」なんて形容詞がついているんだろう。体臭を指摘する側は「ひどく」て、お菓子の臭いを指摘する側は「ひどくない」ならば、多数派と少数派で単に分けて、都合の良い線引きをするだけ。体臭で迷惑をかけてしまうのがしょうがないことだとしても、迷惑をかけているのが事実ならば、他人の迷惑も許せば良いのに。と私は思うが、なぜか少数派の迷惑は許さない姿勢の人が多くいるんですよ。

 

現実的には体臭を迷惑だと思っている側が鼻栓をすべきだと、私は思うが、そうなるとお菓子の臭いが迷惑だと思っている側も鼻栓をすれば済む問題なのだ。体臭の強い人が乗車してはいけないルールもないだろうし、お菓子を食べる行為が一応禁止されていないならば、どっちの行為も「問題ない」わけで、それに嫌悪感を抱く側が自分で対策をするのが筋なわけだから、お互いが鼻栓をすれば良いという結論は、1番しっくりくると思いますけどね。実際、家にカギをかけたりするわけでしょう?それは泥棒に入られないようにするための対策なわけですよ。そうやって自分の身を守るために、自分で金や手間をかけて対策をしているのが当たり前なわけだから、鼻栓を自分で買って臭いから身を守るための対策をするということが、そんなに不自然なことには思えません。鼻栓をすれば万事解決の問題なのに、その指摘を誰もしない方がすげー不自然に感じる。家にカギをかけるのはみんながやっているから、当たり前の行為だから自分もやるが、臭い対策のために鼻栓をする行為は誰もやってないし、当たり前でもないからやらない(やるという発想にならない)というのは、要するにみんながやっている行為に追随することしかできないってことを示してしまっているわけで、それは改善した方が良いのでは?と思いますけどね。

 

なぜ少数派に政治が動かされるのか? (ディスカヴァー携書)

なぜ少数派に政治が動かされるのか? (ディスカヴァー携書)

  • 作者: 平智之
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2013/07/07
  • メディア: 新書
  • この商品を含むブログ (3件) を見る
 

 

あわせて読みたい記事