いじめはなぜ起きるのか?という問題はいじめそのものの捉え方にあると思います。いじめが起こる背景にはいじめがなぜ悪か?が説明できない点に集約されるのです。いじめをなくするためにできることがあるとすれば、そこをまず突き詰める必要があります。分かりやすく言うと、いじめをなくす方法は理論上は存在します。それは子どもや大人を全員洗脳すれば良いということです。いじめをしないように洗脳すれば、いじめは起きない可能性があります。しかし、いじめが実際に起きている現状があるということは、その洗脳が上手くいっていないということです。いじめが起こる背景にはそういった問題がまずあるわけです。でも、じゃあなぜいじめはよくないとか、いじめはいてはいけないという洗脳が上手くいかないのでしょうか?それは「いじめは何が悪いのか?」という回答を明確に誰も出せないからです。当然ながら、いじめをしようと思っている側が、いじめはしてはいけないんだ!と自分で納得できれば、いじめは慎むでしょう。でも、納得できなければ、いじめをしたい欲求を抑えられません。したがって、いじめが起こる原因と辿ると、そこに行き着くわけです。いじめに関する議論って、いじめを悪だと決めつけたうえで、いじめをなくすには?という議論しているだけなのだが、そもそもいじめは悪なの?っていうところを話し合う人がほぼ誰もいないわけ。勝手にみんながいじめは悪いことと決めつけて、その解決策を話し合っているから、いじめは悪ではないと考える人が一定割合放置されたままとなる。
もちろん、いじめはなぜ悪いのか?ということを話す教育関係者や一般人もいるとは思うのだが、問題はその回答が感情論になってしまいがちということです。いじめが起こる原因になりうる部分として大きな問題となります。つまり、人の嫌がることをしてはいけないとか、例えば言われるとして、何で人の嫌がることをしてはいけないの?とか、人に迷惑をかけないでどうやって生きるの?とか、犯罪に該当しないんだから良いじゃん!っていう容易な反論ができる回答しかほぼないと思う。だから、感情論でいじめがいかに悪いか?を説明するということは、その逆に感情論でいじめを正当化することもできるって話になりますね。つまり、いじめがなぜ悪いのか?の明確な回答を誰も出せないから、洗脳ができない。結果として、いじめはなくならないとなるのです。いじめが起こる原因としてはここが大きいですし、これが私が考えるいじめが起きる理由の最たるものになります。いじめがなくならない、いじめをなくせない理由ですね。いじめっていう概念もかなり広いですけど、例えば無視するのがいけないっていうのはどう考えても正当化は無理だと思います。無視という不作為行為もいじめに該当するという考えはあると思うのだが、無視がダメって言われても、誰かの問いかけに反応しないといけない義務をどうやって説明するのか?って話になります。つまり、いじめの中にはそれを否定することが無理難題だろうと思えるようなことまで含まれている可能性もあり、まずそこの疑問から始めた方が良いと思うのです。いじめの定義というか、分類というのだろうか。
あとはいじめには分類されないがいじめと大差ない行為というのもあるはず。悪口を言うのは間違いなくいじめだが、不祥事を起こした芸能人とか、政治家とかに悪口を浴びせている一般人は数多くいる。それはいじめと大差ない行為だと思うのだが、世間はそれを「いじめ」とは言わない。バッシングとか、そういう表現をしている。彼らはそんな罵声を浴びせられることをする方が悪いという理屈なのだろうが、その理屈はいじめられる方が悪いにも適用できてしまいますから、益々いじめを正当化できる根拠を増してしますね。ここもいじめが起こる背景として残っていると思います。学校のいじめも芸能人や政治家を叩く行為も、嫌いな人間を、気に入らない人間を否定する行為という意味では全く同じなのだ。また、合理性の欠片もない校則とかも同様で、最近になって地毛が茶色の子が黒染めを強要される事件があったらしいが、私に言わせれば地毛が黒の生徒が茶色に染める行為すらも何ら問題ないと思うけど、それを学校は否定するわけでしょう?茶色の子がいてはいけない理由は、例によって「風紀が乱れる」などの全く意味不明な感情論しかないと思うのだが、そういう(髪の毛を茶色に染めるような)子が気に入らなければ、その子を否定するのならば、それもいじめと一緒だろう。それを世間は教育と言うのだろうけど、私はいじめは同様の行為だとしか思えない。結局髪の毛が黒髪じゃないといけない理由は、黒髪以外の生徒や児童の存在が不快だと感じる人が一定数いるから。ということであり、それを教育という言葉で誤魔化しているだけなのだ。
あとは「マナー」ってのもそうだね。マナーを守らないことがすげー悪いことみたいに言われているけど、私に言わせれば、マナーを強要する人たちがやっているのは完全にいじめです。だって、マナー違反と言われていることは、たいてい法律的にも、ルール的にも何ら問題がない行為だからです。例は何でもいいけど、例えば食事をするときにくちゃくちゃ音を立てる人を嫌う人って多いじゃないですか?でも、食事中にそういう音を立ててはいけない法律はないし、そういうことを禁止しているお店もまずないです。っていうか、人間が食事をすれば少なからず音は立ちますから、お互い様でしかないと思いますけどね。でも、客観的にそういう行為が悪とは言えないが、不快であるとか、むかつくという理由からそういう人をマナー違反みたいな感じで否定する人は多くいます。なぜマナー違反と言われるのか?と言えば、食事中にくちゃくちゃ音を立てる行為に不快を感じる人が多数派からです。多数派だから、いじめに近いような主張であっても、数の力で圧倒しやすいのです。だから、そういう人をよく思わないという部分にみんな共感できちゃうし、共感できちゃうことを平気で主張する、叩く材料にするわけです。要は共感できる人が多数派だといじめと構造的に変わらないことはみんな平気でやるんですよ。マナー違反とか、教育という言葉に言い換えて。
日本人は集団リンチが大好きな民族であるといった揶揄が一部の人からされていますけど、マナー違反って概念もその集団リンチと大差ないですね。で、学校のいじめに関しては、そのいじめる側が持っている対象の人物への不快感やむかつくという気持ちに共感できる人が少ないので、それはよくないことだと結論づける人が多いということなのです。つまり、いじめを叩き、マナー違反や教育を擁護するのは、自分たち多数派が共感できるか?否か?の差ということであり、単なる感情論で結論を分けている状況なわけです。こういった感じで、世の中にはいじめと同一視できるのに、なぜかいじめとは言われない行為がいくらでもある。そういったものが存在しているというのも、いじめはなぜ悪なのか?が説明できない理由の1つになり、いじめが起きる理由にもなるのだ。いじめをなくす方法はちゃんとあるが、それを実践するのはおよそ不可能だと思う。それはいじめとは呼ばれないが、いじめに類する行為を正しいと思っている人が山ほどいるからだ。つまり、いじめはしてはいけないことだ!と言われても、じゃああれはどうなの?と反論できる余地を世間が与えてしまっているということになる以上、いじめをなくすためには?という考えは考えるだけ無駄なことに近い気がする。
だから、いじめをなくすためにできることはちゃんとあるが、それは国民にとって耐えがたい状況変化を生むことになりかねないということ。いじめをなくすためにできることというのは、簡単に言えば、いじめがなぜ悪なのか?を感情論ではなく、理屈で説明できる人が現れること。そして、学校外でのいじめに類する行為が完全になくなること。この2つが最低でも必要でしょう。子供たちを洗脳して、いじめをさせない状況にするには、いじめをなくす方法として必要なこととしては、このあたりは最低でも達成しなければならない。あとは先ほどもちょっと言ったけど、「いじめ」という曖昧な概念をもっと明確にすること。具体的に何がいじめなのか?が分からないと、生徒や児童もどうしようもない。いじめといじりの違いは何なのか?プロレスごっこといじめの違いは何なのか?などがはっきりしないと、無意識のうちにいじめる行為が発生する可能性もある。いじめをなくすためにはそういった取り組みがまず必要だと思うのだが、多くの大人はいじめを悪だと決めつけたうえでの対策しか練らないので、根本的に子供の思考を変えることができないのだ。だから、メカニズムから言って、どう考えてもいじめがなくなるような対策にはなっていない。と、私は評価せざるを得ないのです。だから、ある程度頭のいい人がこういう議論に加わっていかないといけないと思うのですよ。ちゃんと論理的に説明ができる人がいないと、子供を洗脳することはできませんから。まずとは大人がそこに気付くことでしょうね。そこがなければ、この問題は何の進歩もないと思います。
いじめが起こる原因というのはちゃんと考えているんだろうけど、その原因の根本を正しくとらえられていない気がするのです。いじめが起こる原因の根本なところというのは、いじることを悪いと思っていない子がいるから。ということで、その悪いと思っていない思考をそのままにしても無理だって話なのです。お腹が空いているのにご飯を食べるな!って言っているようなもので、ご飯を食べさせないためには、別の方法で満腹感を感じてもらうしかない。空腹感を放置したまま、ご飯を食べるな!と言われても、無理ですと言われるだけであって、いじめたい衝動をなんとかするのが先でしょう。そのためには言葉は悪いかもしれないが、洗脳が必要で、学校や家庭でそれに取り組むしかない。そのためにはいじめがいけないと言える、反論の余地のない根拠が必要となるということ。でも、私は無理だと思いますよ。そんな根拠ありますか?頭が良い人ならば容易に反論できそうな根拠しか、私は思いつきません。いじめがなぜ悪いか?ということを考えてきた人は今までにそれなりにはいると思うんだけど、それでもいじめがなくならないならば、それはそこに限界があるから。と片付けるのが適切な気がします。つまり、誰をも納得させられるいじめがいけない理由なんて存在しない。というのが真理な気がします。本当は理由なんかないんだけど、世の中の大半がいじめはよくないと思っているから、そう思わされている人が多く、その結果、いじめはよくない的な風潮が存在しているだけな気がします。つまり、いじめがよくないという理由は後付けであり、理由があるからいじめがよくないとなったというよりは、いじめがよくないという風潮の中で、各自がその理由を考え出した。というのが正しい気がします。
本当にいじめはダメなのか?っていう考察はあまりやらないですよね。いじめをなくす方法ばかりの議論が先行している。でも、先ほどから言っているように、いじめとは扱われないけど、いじめに類する行為は山ほど世の中に存在しているわけです。その現状を見ると、なぜここまで多くの人がいじめはよくないと主張をするのだろうか?という気分にもなってきます。いじめはよくないと言われるが、いじめに類する行為はいくらでも存在している。この状況では、いじめを本当によくないと思っている人がそんなに多いのか?日本国民の多くはいじめはよくないと思っている。と評価することが正しいのか?という気持ちにもなってきます。いじめが起こる背景にはそういった部分が間違いなく存在していて、そういう背景があるのに、いじめは悪とされる風潮自体に疑問を誰も持たないところに、私は疑問なわけです。また、世界平和がなぜ実現しないのか?という議論とも近いのだけど、なぜ争いが起きるのか?と言えば、自分にとって脅威になる存在を排除するためでしょう?だから、賛同できない法案とかに文句を言う人が出てくるわけです。自分にとって脅威になるものを排除したいと考えるのは自然な行動だと思うのですが、言ってしまえばいじめもそれに近い可能性もあります。あいつむかつくと思う存在がそこにいる限り、自分の機嫌が損なわれるわけです。そんな程度のことならば、随分平和な脅威だなと思わずにはいられないけど、それ自体が非常に些細な脅威というだけであって、結局物事が起きているメカニズムは同じだと思うのです。
あいつがいると、これがあると、自分にとってよくないことだという判断をしているという脳内のメカニズムは同じで、その判断の中身が非常に少数派だから、異なるものとして捉えている人が多いだけだと思うんですよね。異なるというか、正確に言えば異なるものに見えるだけ。ということも言えるかもしれないが。些細な脅威で人を避けるようになったり、否定したりするっていうのは身近なところでもあると思いますからね。LGBTの問題とかはまさにそうかもね。彼らがいることで脅威になるって感じではないけど、世の中に彼らを避けたり、否定する人間は多いわけじゃないですか?実際、そういう対応をしている人は無意識のうちに、LGBTのような人たちがいることが自分にとっての脅威になると判断してしまっていると思うのです。でも、LGBTにそういう対応をすることはいじめとはあまり言われません。最近はちょっと風向きが変わってきた感じもするから、差別とは言われる可能性はあるな。しかし、そういう対応をする人の判断のメカニズムはいじめと変わらないよね。ということなのです。やはりいじめをいじめと扱わない都合の良いところがあるというのが、私から見た日本国民の国民性になるが、結局そういう状況が確認される限り、子供たちも同様だろうという話になります。いじめをしている子もいじめられることまで受け入れるつもりはないだろうから、そういう意味では「自分勝手」とも評価できなくはないが、それは大人もそうだと。大人もそうならば、子どもそうであっても当然だろうという結論になります。大人は子どもを変えようとしているかもしれないけど、まずは大人自身が変わらないといけない。ということが、いじめをなくすためにやるべきことの1つになるのではないでしょうか?子供を洗脳するのはその後でしょう。

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