同調圧力という言葉があって、これに惑わされている人、困っている人は多くいると思います。このブログでも同調圧力については何度か批判してきたが、同調圧力以外にも人間には困った問題がある。それが「同調欲求」だ。この「同調欲求」というのは、私が勝手に作った造語だと思っていたんだけど、検索してみると同じ言葉を使っている人がちらほらいる。私は「同調欲求」と「同調羨望」で迷ったんだけど、前者の方がしっくりくるかな?と思ったのだが、同じようなことを考えている人が他にもいたようだ。この同調欲求というのは何か?というと、他の人と同じでいたいという欲求のことだ。同調圧力は他の人と同じようにしろ!という他者からの圧力になるが、同調欲求は他の人と同じでいたい、自ら思うことであり、実はこっちの方が厄介だったりする。同調圧力は、本人にとって同調したいという思いがない場合が多いので、無視することもやろうと思えばできるわけ。しかし、同調欲求の方は、同調したいと自ら思っているため、その欲求を無視しづらい。同調したいと思っている時点で、同調することが幸せなのだから、同調できないこと、または同調したい気持ちを無理やり抑えることは、その人にとって望ましくない結果なのだ。
例えば、すごい身近な例で言えば、結婚をしたいという女性がいたとする。結婚をなぜしたいか?と言えば、理由は人によっていろいろあると思うんだけど、友達とか、周りが結婚していく様子を見ると、自分もそうなりたい。自分だけが結婚できないのは嫌だ。という気持ちから、結婚したいという意思を持っている人もいるのではないでしょうか?このケースの場合、結婚したい理由は同調欲求に近いと思う。つまり、仲間外れになるのがいやなのではないか?結婚=勝ち組、結婚できない=負け組みたいな構図が世間の中に勝手にできあがっているというのは、正直あると思う。その部分でいうと、結婚できない人は負け組だよねとか、可哀想だよねみたいな雰囲気は私も感じているし、他にも感じている人はいるのではないか?私の場合は、別に負け組とか、可哀想とか思われたとしてもどうでも良いと思っているから、結婚に全く興味ないんだけど、そういう周りの目を気にしてしまう人は絶対にいるはずで、そういう人は同調欲求に苛まれてしまう。そして、自分が結婚できないで歳をとり続けるほど、その本人のショックは大きくなる。そもそも結婚=幸せという価値観もどうかと思うけど、こういう同調欲求というのは、非常に厄介なものなのです。
なぜならば、同調欲求を持ってしまう人は、いろいろなことに同調欲求を感じてしまうからだ。結婚というのは1つの例であって、例を挙げようと思えば無限にあるだろう。平均年収よりも収入が少ないとか、結婚はしているが子供がいないとか、友達が少ないとか、休日家で過ごしてばかりだとか、一般的な目安と比べて自分が違うという認識、平均を下回っているみたいな認識というのは、どんどん連鎖していきやすいと思う。つまり、同調欲求というのは、1つ持ってしまうと、そこからいくらでも生まれてきやすいもので、いろいろな要素に対して自分は他の人と同じか?どうかを気にしてしまう。そういう性質があるんじゃないか?と思えてくるのです。仮に本当にそうだとすると、同調欲求というのは非常に困る存在になるのです。仮に結婚をできない人が結婚できたとしても、次は子供が人並みに欲しいとか、また同調欲求が生まれてくる可能性がある。つまり、同調欲求は1つ解決しても、また次のものが生まれてくるという繰り返しであり、それに永遠に悩み続けるのではないか?ということ。それを根本から解決する方法があるとすれば、他人と同じことに安心感を抱かないこと。
同調欲求の根本原因は安心感なわけです。なぜか他の人と同じだと安心感が生まれるみたいなところはあるわけだが、安心感は生まれるかもしれないけど、それが幸せなことか?どうかは別だと思うのです。1番分かりやすい例はサラリーマンかな?サラリーマンになれればとりあえず安心という人はいるかもしれないが、サラリーマンという人たちはものすごく数が多いから、労働市場での需要と供給のバランスを考えたときには、給料が上がる余地が少ない。雇いたいという人数に対して、働きたいという数が少なければ、給料などの条件が上がるが、逆のことが起きると給料などの条件は下がる。他の人と同じ働き方ができているという安心感はあるかもしれないが、みんなと一緒の働き方をしているから、給料が上がらない、足元みられて違法労働を押し付けられるとか、いろいろな問題が起きやすいと言える。安心感と引き換えに起きるデメリットはものすごくでかい。
同調欲求がなければ、安心感よりも別の視点から職を選んでいる人は増えたかもしれないし、そうなればサラリーマンになる人も、そうじゃない人も共にいい結果が生まれる可能性もある。同調欲求というのは、それを抱いている本人にとっても悩みを与えてしまう存在ともいえるが、同調欲求を抱える人たちが大勢増えることで、なんだろうな?一種の不健全というか、あまり望ましくない状況を社会全体にもたらすという、別の力も含んでいるのではないか?と思う。東京への一極集中が問題視されたりするわけだけど、それと同じようなことかな?と思うのです。何かに偏って集中するそれ自体が好ましくない事態をもたらしているのではないか?と思います。同調欲求を気にしないで生きられる人は少ないかもしれないが、他人の生き方とかに良い意味で無関心の人は、それはそれで幸せになりやすい要素の1つかな?とも思えるのです。そういう人が増えれば、社会全体も良い方向に向かう可能性もあります。

マズローの心理学
- 作者: フランク・コーブル
- 出版社/メーカー: 産能大出版部
- 発売日: 1972/01/01
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 13回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
あわせて読みたい記事
- 円谷光彦は黒幕?あの方?頭がいい部分が怪しいが、嫌われるネタキャラの印象の方が強い
- 政治家の不倫ネタに公益性なんかないんだから報道を規制すれば良いのに
- 自己中はなぜ悪いと思われている?何が悪い?自分勝手は治らないし、治したいと思う必要もないと思う
- もったいないという気持ちがさらなるもったいないを生む可能性が現実にある
- 名探偵コナンの黒幕やあの方は黒羽盗一?死亡は怪しい?実は生きてる可能性はあるのか?
- 炎上はなぜ起きる?正義感に対してくだらない、気持ち悪いと評する人もいるし、ブラック企業の増加の原因になる?
- メアリーが強いのは幼児化した浅香だから?赤井務武は生きてる?ラムが正体?
- ニートやひきこもりの生きる意味、生きてる価値やメリットは大きい?息苦しいと思う必要はない
- ヒカル氏の祭りくじ動画は景品表示法の違反ではない!肖像権侵害の可能性もある
- 音楽の生のライブに行くより家でライブDVDを観ていた方が楽しいと感じる私は異端児だろうか?