コンビニに成人向け雑誌が置かれていることについて批判の声が一部であるようです。コンビニは不特定多数が出入りお店という認識になっているみたいだから、そういう批判があるのは自然かもしれないが、私に言わせれば、そういう批判は破綻していると言わざるを得ない。コンビニにおける成人向け雑誌については行政が介入し始めている例もあるようで、個人的にはそんなことをする必要がどこにある?と思うのだが。私がなぜコンビニそういう本を置いておくことを問題視する人の主張が破綻していると感じるのか?について書いていきます。彼らの意見はコンビニは不特定多数が出入りするお店だから、そういうお店に有害図書が並んでいるのは相応しくない。という理屈なのでしょう。多くの人間はこの意見をそこまで不自然には思わないかもしれないが、私はある部分にすごい違和感を覚える。それは「不特定多数」という単語です。この単語は全員が使っているわけではないが、私が見たところでは結構見るワードだった気がします。コンビニは現状として確かに不特定多数が出入りしているお店かもしれない。しかし、そもそもこの意見はコンビニ=不特定多数が出入りするお店という前提条件がなければいけない。
ここでいう前提条件というのは、実際そうなっているという結果論の話ではなく、定義としてそうなっているか?の問題になります。つまり、コンビニは定義として不特定多数が出入りするようなお店だという確固たるものが存在しているならば、この意見は真っ当かもしれないが、現実に起きているのは不特定多数が利用しているのだろうという結果論による推測の域でしょう。そして、問題はここなのです。例えば、成人向けグッズのみを販売しているお店が実際あるわけですが、そういうお店はなぜ批判されないのでしょうか?それはそういうお店に不特定多数が出入りしないからでしょう。じゃあ、何でそういうお店が不特定多数の人が出入りしないのでしょうか?それは扱っている商品がアレだからですよね。つまり多くの人の認識では、お店で売られている商品によって、不特定多数が利用するのか?しないのか?が分かれるということになります。じゃあ、コンビニはどうなのでしょうか?ああいった本があると不特定多数が出入りするコンビニおいては相応しくないという意見を言っている時点で、ああいった本が置いてあるお店は不特定多数が出入りしづらいと言っているのと同じですよね?それは=コンビニはもはや不特定多数が出入りするお店じゃないという認識になっていることになると思うのです。
つまり、成人向けグッズを扱っているお店はそういうものを扱っているのだから、不特定多数が出入りするお店ではもはやないという認識に多くがなっている。それは扱っているものが多くにとって不適切と考えられているものだから。だから、一部の人しか立ち寄らない。しかし、有害図書という言い方をしているけれども、そういう本だって多くにとって不適切なものと考えられているというのは一緒でしょう。ならば、そんなものを扱っているコンビニは、成人向けグッズを扱っているお店と同じで不特定多数が出入りするようなお店ではない。という認識になるのが正しいのではないでしょうか?何で先ほどのお店は批判されないで、コンビニは批判されるのか?が分からないのです。同じようなものを扱っていながら、一方は不特定多数が出入りできなくても問題ないのに、一方は問題だみたいな認識になるのか?が分からないのです。
多くの人はコンビニがまず不特定多数が利用するお店だという認識が存在していると思いますけど、そこがおかしいと思うのですよ。コンビニを不特定多数が出入りするようなお店にしないといけない義務がまずない。特定の層だけを取り入れるようなお店にしたって良いと思うんですよ。例えば、カップラーメンだけしか販売しないとか、特定の層の人間のみをターゲットにしたって良いわけじゃないですか?(あまりに商品に偏りがある場合には、そのお店をコンビニと呼ぶことが問題視される場合もあるかもしれないが)それはお店の経営方針の自由ですよね。多くのコンビニは扱っている商品が幅広く、日用品や食品が多いから、結果的に不特定多数が利用しているという状況が起きているだけであって、コンビニは不特定多数が利用できるお店にしないといけないというルールはないと思うので、有害図書があって、不特定多数が利用できない状況が生じても、それが=問題とはならないと思いますよ。不特定多数が利用できないじゃん!という批判は、じゃあ不特定多数が利用しなければ良いじゃん!という反論で返せてしまうのです。
そもそも不特定多数が利用するという前提で話しているならば、不特定多数の人たちの需要を満たすように商品が置かれるのが当然であり、不特定多数の需要の中には、特定の人間からしたら価値観的に相容れないものが存在するのは当たり前な気がします。不特定多数が利用するお店だからこそ、そういう状況になっているのであって、そういう状況が望ましくないというのであれば、やはり不特定多数が利用できるお店という前提条件を覆さないといけないと思いますよ。コンビニに置いてあるもので望ましくないと誰かが考えているものは、有害図書だけではないでしょう。酒やタバコやその他いろいろなものが、ぞれぞれの人間によって置くべきではないと考えられている可能性があります。それを全部置くべきではないと結論付けたら、もはやコンビニに置けるものがほとんどなくなる。不特定多数が利用するお店ならば、尚更いろいろな人たちが利用する現状を踏まえて、そのために置かれている商品の存在を認めるべきだと思います。特定の層にとって望ましい商品しか置くな!と言うのであれば、その意見はもはやコンビニが不特定多数が利用するという彼らの前提条件から、著しく乖離してしまっていると思います。
実際、そういう本が置かれている状態でも不特定多数が利用しているわけだから、多くの人はそんなことはどうでも良いと思っているのでしょうね。私もどうでも良いと思っています。私はコンビニに入ると真っ先に奥の飲み物のコーナーに行くので、雑誌が置いてあるコーナーは毎回見向きもしないです。そもそも有害図書がコンビニ置かれるのが問題だとする理由が、子供や女性の目に触れるから。ということならば、コンビニの入り口に表示でもしておけば良いんじゃないでしょうか?このお店はそういう本を置いてあります。という表示でもしておけば、そういう本を問題と考える人、利用がしづらいと考えている人は入らないでしょう。一部の行政は本をフィルムで覆ったり対策をしているようだけど、そんなことまでする必要がない。コンビニが客足を途絶えさせないために自らやるのならば結構だが、行政が仮に対策をするのであれば、お店の入り口に表示をするなど、影響がより少ない手段をとれば良いのに、何でいきなり本自体に直接影響力を行使しようとするのか?そういう本が置いてあることが原因で別にコンビニを利用できなくても、スーパーがあるのだから良いと思うんですよね。あとはネットスーパーもあるし。おまけに利用がしづらいというのも物理的な問題ではなくて、精神的な問題だと思うので、行政が乗り出すほどとは到底思えないのですよ。

コンビニ人間
- 作者: 村田沙耶香
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2016/07/27
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (52件) を見る
あわせて読みたい記事
- ベーシックインカムがあればいじめで悩む子供も救えるかもしれない
- 自己責任を押し付ける行為は人のせいにする無責任?人を追い詰める嫌いなワードに感じることもある
- 面倒くさいという気持ちのおかげで、空腹を感じるのが最近の快感になってしまった話
- 世間を賑わす商標権のトラブルやトロールビジネスの騒動を見て思ったこと
- 国公立大学の入試と薬剤師国家試験、ライブ日程が重なり、受験生が宿をとれない事態に
- 少子化を子供を増やして解決する姿勢は国際競争力の無さや生産性の低さを長時間労働で補う状況と一緒
- 天然パーマを禁止する校則に反論するときの根拠として適当なものを紹介したい
- 飲食店での喫煙は迷惑?喫煙席の廃止と全面禁煙は正当性が全く感じられないんだけど?
- 箱根駅伝の優勝で大学の志願者増加を東洋大学は否定するが、見方が違う気がする
- フルーツを若者が食べない、消費しない理由は「お金がないから」、「貧困だから」は正しいのか?