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世の中の現実を踏まえて、幸せな人が増えることが良いこと限らない理由

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「幸せな人が増えることは良いことか?」非常に哲学的なテーマのようにも思えるが、現実的な話でもある。私が何故こんなことを考えたか?というと、きっかけはいろいろあるが、そのうちの1つにテレビでやっていたんだけど、ある海外の女の子がネットでの誹謗中傷を減らすための策を考えて、それを実践したところ、誹謗中傷が減ったという。私はそれを見て、素直に喜べない。なぜか?誹謗中傷が減ったということは、誹謗中傷は0にはなっていないということだ。0になったならば良いと思うんですよ。0になっていないということは、何を意味するか?というと、誹謗中傷を受けなくなった人は良いが、相変わらず受けている人はダメージが今より深くなるということ。他人と同じことに安心感を覚え、違うことに不安を覚えるのが人間であるという前提に立つならば、誹謗中傷が減るということは、その中で誹謗中傷を受ける人の仲間はずれ度が増すことになる。それは精神的なダメージを増幅させることにつながる。極端なことをいうと、日本人のうち全員が毎日誰かから誹謗中傷を受けている状況があったとする。この状況の中で、あなたは誹謗中傷を受けることに対してショックですか?というと、ショックではないんじゃないか?と思います。それは誹謗中傷が日常的に常態化しており、誹謗中傷を受けるのが当たり前になっているからだ。当たり前になっているコトを誰も気にしない。しかも、受けているのは自分だけじゃない。他の全員が受けているとなれば尚更だ。

 

つまり、誹謗中傷を世の中の全員が毎日受けているような状態は、客観的に見て、何の問題も生じさせない。だから、私は中途半端に減るくらいならば、思いっきり増えた方が良いんじゃない?と思っているくらいです。多くの人を幸せな感情にするのは逆にこっちなんじゃないか?と思う。例えば、私は以前、就職内定率と自殺の問題を語ったことがあるが、これも内定をとれない人が無茶苦茶増えれば、就活自殺は間違いなく減るだろう。内定をとれない人が増えるってことは不幸になる人が増えるということを意味するかもしれないが、一方で内定がとれないことを気にしないという幸せになれる人も増えるということになる。内定率98%とか言われると、内定をとれない人は客観的に見て負け組にも映るし、自分で自分をダメ人間だと思うでしょう。しかし、内定率が50%ならば、内定がとれなくてもしょうがない。内定をとれない人だって普通という風に映り、自分で自分をダメ人間だなんて思う人は圧倒的に少ないはず。結果、就活自殺は減るだろう。つまり、人間の心理面を基準にすると、どうしても幸せになる人が増えると、精神的に不幸になる人が増えるというメカニズムは確かに存在すると思う。他人の不幸は蜜の味なんて言葉があるが、これは現実的に妥当する言葉のように思います。

 

内定率が上がれば、就職できて幸せにも見える人が増えるが、一方で自殺者が増える。これは良い状況だろうか?つまり、内定率が上がる状況は果たして好ましい状況と言えるのか?というと、私は何とも言えない。一方、就職内定率が下がれば就職できないで不幸になる人は増えるが、自殺者は減る。これは良いことだろうか?何とも言えないですね。幸せと不幸は表裏一体であり、両立することはおよそ不可能でしょう。両立することができるとすれば、それこそどちらか一方に極端に偏った場合のみ。先ほどの例で言えば、全員が誹謗中傷を受けない世の中か、全員が誹謗中傷を受ける世の中のどちらかが実現していれば、世の中の人間の全員の精神は平穏に保たれていると言えるでしょう。しかし、少数派が生まれてしまうと、その少数派に属する人間は、相対的にダメージが大きい。その少数派の程度が高くなればなるだけ、ダメージは大きい。幸い、日本においては就職できなくても=死ぬわけではない。たいていは何らかの方法で生きられるだろう。それに就職できて幸せと感じられるのは学生でいる間だけのケースも多い。いざ、入社してみたら社畜としての毎日が待っていることもよくある。

 

就職できても、できなくてもどっちも辛いならば就職する意味もよく分からないし、就職できることって本当に良いこと?とも思えてくる。何が幸せか?という問題もあるけれども、幸せに思えることが果たして本当に良いことか?っていうのは、いろいろと個人的に考える部分は大きい。自分の目線による主観ではなく、客観的に全体の見地から眺めてみたときには、全てが理想の状態になるなんてことはおよそありえない。だからこそ、平和っていうのが現実的に無理なんだろうっていうのもあるし、仮に平和が実現しても、その平和は本当に良いことか?とは別問題である可能性もある。そんな非情な現実を思い浮かべながら生きていかないといけない世の中を思うと、またどっと疲れがくる。

 

 

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