オリンピックで盛り上がっている中、オリンピックの報奨金に関する話題を目にすることがあった。オリンピックとパラリンピックの報奨金の額が違うということ。それぞれにおける金、銀、銅メダル獲得者のもらえる報奨金の額が約2倍の格差になっている。それ自体は知っている人も多いかもしれないが、その格差を問題視する人もいる。これは問題か?っていうと、私は問題には思わない。正確に言うと、格差があっても問題ではないが、格差がなくても問題ないと思う。非常に曖昧な答え方だが、その真意は後半になると分かると思います。というのも、この報奨金っていう存在は何ともよく分からないもので、まず報奨金っていうのは、何に対する報奨金なのか?ということなのです。そこがはっきりしないと何とも言えない。金、銀、銅を獲得した選手にしか送られないのであれば、結果を出した選手ということになる。結果を出したという意味では、同じ金、銀、銅を獲得した点においてオリンピックとパラリンピックに差はない。しかしだ、見た目の結果は同じでも、それを同一視すべきか?という問題がある。例えば、草野球チームがある大会で優勝したのと野球日本代表がWBCで優勝したのは同じ価値か?というと、同じとは言えないでしょう。これは個人の感想の問題だけどね。
草野球と野球日本代表の何が違うか?といえば、レベルですよね。じゃあ、パラリンピックとオリンピックは同じレベルか?というと、同じとは言えないのではないでしょうか?例えば、野球日本代表がWBCで優勝しました。代表チームに報奨金が支払われます。となったときに、じゃあ高校野球は?草野球は?リトルリーグは?とか、そういう反論と同じなんですよね。そういうことを言い出したらキリがないじゃないですか?WBCで優勝することは国民の注目を浴びやすいし、影響力も大きいですよ。パラリンピックが国民からの注目がないとは言いませんが、オリンピックと比較してしまうと、メディアの取り上げ方がまず違う。だから、テレビなどでパラリンピックを目にする機会が相対的に少ない。仮にオリンピックと同じ規模でテレビ中継をしたとしても、注目度が全く同じなるというのは、想像しがたい現実があるでしょう。それに先ほど言ったように、報奨金を与える目的がそもそも何なのか?何に対して送るお金なのか?の部分がはっきりしないと、格差を設けることの是非も議論しがたいです。私は結果に対するお金なんじゃないの?という推測をしたが、同じ結果ならば、全国でオリンピックやパラリンピック以外の大会でメダルをとっている人だっているし、その人たちはお金を国から貰えないわけですよね。
私も子供の頃スイミングスクールの大会で金メダルを貰った経験があるが、もちろん国からお金は一切もらっていません。なぜオリンピックとパラリンピックの格差は問題視するけど、それ以外の格差は問題視しないんだろうか?私が近所のスイミングスクールで獲った金メダルで報奨金を貰えない理由を説明するとしたら、やはり個人の能力の違いか、大会の規模や注目度を理由に挙げるしかないのではないだろうか?それを理由に私はもらえないが、オリンピックやパラリンピックの選手はお金を貰えることを説明してしまうと、選手個人の能力や対機会の規模や影響力に違いがあれば、報奨金の額に違いを設けることが正当化できてしまいます。あと、もう1つ言っておくと国からお金が出るという意味では国家公務員も該当すると思う。もちろん、国家公務員という一括りにされた人たちが全員同じ給料を貰っているわけではない。勤続年数など、個人の能力などに応じて差が出てきます。つまり、貢献度っていうのかな?それに差があれば格差は作られてしまっているわけです。でも、こういうところに疑問を持つ人ってあまりいないですよね。民間企業も含めて、年功序列って当たり前の現象みたいになっているが、これだって格差には違いない。若手とベテランの間の格差である。しかし、そういった部分は経験や能力が違うからだ。といった理由で正当化されてしまうと思う。となると、オリンピックとパラリンピックでもそういった部分に違いがあれば、格差があっても問題ないのでは?ということにもなってしまいます。少なくとも、国家公務員などの給与体型を問題視しないならば、こっちを問題視するのはおかしくないか?という気がします。
オリンピックとパラリンピックの選手の経験という部分は選手の個々人の問題だろうが、能力の差っていうのは間違いなくありそうなのです。ただ、それを言ってしまうと、オリンピック選手の中でも男女で能力差は違うでしょ?って話にもなってくる。つまり、能力の差を根拠にオリンピックとパラリンピックの報奨金の格差を正当化すると、オリンピック、パラリンピックそれぞれにおいて男女でも格差を設けるべきだという話にもなってきてしまう。そんなことをするとさらに批判が殺到するだろうから、国がやろうとしてもできないだろうが。でも、結局男女で報奨金の差がないってことは、能力に注目して格差を設けているわけではないのか?という推測も立ってしまう。じゃあ、この報奨金の格差の理由って何なんだろうか?っていうのは非常に疑問です。さすがに何の理由もなくオリンピックとパラリンピックの報奨金に差をつけているとは思えないけど、当然理由は気になるところだ。オリンピックとパラリンピックの報奨金の違いは、理由によっては問題ないと言えると思うが、理由次第ではオリンピックとパラリンピックの報奨金の違いは説得力のない差別と断じることもできるかもしれない。何に注目して差を設けているのか?そこがはっきりしないとこの格差が不当か?否か?が変わってくると思います。
先ほど言ったように選手個人の能力の違いでオリンピックとパラリンピックの報奨金の格差が存在しているならば、男女でも格差を設けないと腑に落ちない気もする。オリンピックやパラリンピックに出てくる選手のレベルならば、間違いなく同じ競技における男女で身体能力の差はある。しかし、感動をどれだけ呼んだか?といった影響力や注目度を理由にオリンピックとパラリンピックの報奨金の格差を設けるならば、確かにそれは存在してもしょうがない気もしてくる。間違いなく差はあると感じるから。ただ、この場合でももっと細かく言えば、オリンピックとパラリンピックの違いもそうだけど、競技によっても注目度や影響力って全然違うよね。って話になってしまい、キリがない。そうなると、オリンピックとパラリンピックの報奨金の違いが差別か?という問題は、どういう格差の発生のさせ方をしても結局差別にはなるだろう。つまり、それが問題ならばオリンピックとパラリンピックの報奨金に違いは設けない方が良いだろうが、それをやると、次はじゃあ何でメダルを獲った人以外は貰えないのよ?とか、またそういう意見が出ても不思議じゃないと思う。メダルを獲った人は価値があって、そうじゃない人は価値がないのか?という発言をする人が出てくるかもしれない。結局、キリがないわけだ。どういう形で格差をつけても、つけなくても、問題はなくならない。いっそのことオリンピックとパラリンピックの報奨金を両方とも一切支給しないという風にすれば、格差や差別は完全になくなる。しかし、それで国民や選手が納得するか?といえばまた別だろうし、どういう形をとっても解決不可能な問題だと思います。

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