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ヒトラーが赤ん坊の頃に私たちが戻れたら、皆さんは彼を殺しますか?

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ニコニコニュース「「もし過去に行けたら赤ん坊のヒトラーを殺すべきか」 米紙のアンケート、Twitterで議論に | ニコニコニュース」に非常に興味深い記事があったので、紹介したいと思います。今や世界中で悪人扱いされているドイツのアドルフ・ヒトラーですが、そのヒトラーが生まれた時代にまで仮に遡れることができたら、赤ん坊時代の彼を殺すか?という、非常に物議を醸しそうなテーマです。

 

>過去に戻ることができ、赤ん坊時代のアドルフ・ヒトラーを殺すことが可能ならば、あなたはそうするか──米紙が読者に投げかけた質問に対し、米国のネットやメディアで議論が起きている。質問には42%が「イエス」と答えた。あなたはどう考えますか?

 

この問題は、そもそも前提として、その赤ん坊時代のヒトラーがその後と同じような生き方を100%するという前提なんですよね。そうなると、赤ん坊時代のヒトラーをほうっておいたら、同じようなことになるので、それを回避すべきか?という話なんだろうけど、ドラゴンボールにも同じような話があったな。メカフリーザを倒して、未来から来たトランクスが3年後やってくる人造人間のことを孫悟空に話したのだが、その3年前である現在の時点では、まだ人造人間らは動いていない。そこで、ブルマが「じゃあ、今のうちにその人造人間を破壊すればいいじゃない!」みたいなことを言っていたと思います。ただ、ブルマ以外の人たちはその意見に大反対で、孫悟空の意見としては、現時点で悪さをしていない人間を破壊するのはちょっと・・・。みたいな感じだった。孫悟空の意見とは裏腹に、彼らは3年後に殺戮をしていくわけだが、今回の話はこれと似ているのだろうか?ヒトラーが大人になれば同じようになるという前提ならば、確かに赤ん坊時代の彼を殺せば、確かにユダヤ人など、多くは助かる。

 

ただ、結局やっているのは人殺しだ。確かにヒトラーも多くを殺したが、じゃあそのヒトラーを殺すのは何故良いのか?といえば、説明はできるのだろうか?明らかな危険人物であっても、犯罪を犯していなければ逮捕はできないし、刑罰にも処せない。これが法律ですね。そして、その危険人物を放っておいた結果、本当に凶悪犯罪を起こした。周りの人たちが「ほら!やっぱり!」と言ったとしても、法律を基準にするならば、その凶悪犯罪を犯す前に逮捕しなかった警察が悪いとは言えない。つまり、99.9%将来とんでもない人間になると分かっていても、何もしていない段階で殺すというのは、ユダヤ人を殺戮してきたヒトラーと思想的には変わらないだろうということ。あと、ドイツに同様の法律があるか?は知らないが、日本の刑法には正当防衛や緊急避難がある。これらは例外的に、警察や司法の手続きを踏まないで、相手を殺したり、傷つけたりしても構わないというのだが、逆に言うとそれ以外では正規に手続きを踏めということになっています。つまり、自分を脅迫してくる人がいて、このまま放置していたら明らかに殺されるという状況があっても、相手を殺してはいけないのです。警察に連絡している余裕があるのであれば、その手続きを踏まないでした行為は殺人罪になる。情状酌量はあったとしても。

 

今回のヒトラーの場合も赤ん坊ということで、教育によって変えられるという方法もあるじゃないか!みたいなツイートもあったが、そういう代替手段がとれるのならば、とるべきだろうし、それをとらないで殺すべきと言っている人間は、それによって助かる人間が多くいたとしても、やっている行為は殺人罪と変わらない行為だということ。その殺人は理解をする人間はそれなりにいるかもしれないが、客観的に見たら、法律上ではヒトラーの行為と何ら変わらない。実際、ヒトラーの行為も、ユダヤ人をスケープゴートにすることによって、ドイツ人の多くがいろいろな意味で救われたと言える部分もあるんじゃないか?と思う。実際、当時のドイツは第一次世界大戦後の賠償金の問題で国内が騒然としていた。インフレや失業が酷くて、トイレットペーパーを使うよりもお札でお尻を拭いた方が安いと言われていたほどです。私は世界史にそんなに詳しいわけじゃないが、当時の金相場や金融機関を牛耳り、ドイツの景気そのものを左右していたのがユダヤ人とも言われていたらしい。つまり、ユダヤ人次第でドイツ人の生き死ににかかわる問題に発展しやすくなるということ。そんなユダヤ人を抹殺すれば、少なくともドイツ人にとってはメリットが大きかったと言えるのかもしれない。今で言うならば国内で就業している外国人を抹殺すれば、日本人に職が回ってくるようなものでしょうか?

 

もし、そうならば、じゃあ何が違うんだ?となる。ユダヤ人を大量虐殺することも、ヒトラー自身を殺すことも、それ自体が誰かのためになっているとしたならば、結局行為自体の性質は同様じゃないか?と思う。少なくともヒトラーが何もしていない赤ん坊の頃で言うならば。ユダヤ人だって、客観的な罪はないが、ドイツ人にしてみればそんなことを言っている場合じゃない。生活がかかっているという話にもなってくるのか。ヒトラーが生き続けて大人になるということは、逆に言うとユダヤ人にとって同様のことが起きる。別に違いがよく分からない。ヒトラーを殺す場合は、1人だから良いとでも言うのだろうか?あと、実際ヒトラーがナチス党の党首にならなかったとしても、結局同じようなことは起きていた可能性が高いと思う。ドイツが、国の都合によってホロコーストを行ったのも、日本の軍部の都合で太平洋戦争に陥ったのも結局はやっていることは大差ないと思う。ドイツがユダヤ人を虐殺したとしても、世界中では自国民は戦争の道具として、他国民は敵として殺し合いが行われていた。結局はそういう思想が蔓延していたのは、ドイツだけではない。

 

つまり、当時の潮流がそういうものであった以上、ヒトラー1人をどうにかしても、世界の流れが変わったとは思えないのです。あと、そもそも私は死刑制度自体にどちらかというと反対なので、いかに極悪人だったとしても、その人物を殺すというのはどうも賛成できない。これも感情論だから、イマイチ説得力はないが、殺人だけに限らないが、犯罪に対して犯罪で返すというのは、少なくとも正しいとは言えないと思う。何故か?というと、人殺しをするような悪い奴らは殺していいというのが、今回の賛成論者の気持ちなのかもしれないが、「殺してもいい奴」という定義は、それぞれの人の中に存在することになる。つまり、どういう奴らならば「殺して良い」のか?は、それぞれが自由に決めても良いと。法律などの客観的な基準に照らさなくても良いというのが、彼らの主張になってしまう。そうなれば、今回の賛成論者に対して、何かしらの憤りを感じたら、その人の判断で殺しても文句を言うべきではないだろう。つまり、いつ、誰に、どのような理由で殺されてもしょうがないとなる。その覚悟があるのならば、賛成でも良いのかもしれない。私は嫌ですから、賛成はしません。

 

人は何故、人を殺すのか―若者らの罪悪感、反省心のない「器物破壊化」殺人の実態と背景を探る

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