子供が親に寄生することは何かと叩かれることが多いが、逆はあまり言われない。というか、そもそも話題にすらならない。大学を卒業して実家に住み続ける人たちがいるが、彼らはたまに叩かれることもある。ただ、叩かれないといけない理由は何か?っていうと、特に感情論以外は見出せない。多くの人が家を出るというのはあるかもしれないが、だから、他の人もそれに従わないといけない理由はない。逆に子供が社会人とかになってある程度の稼ぎを得るようになるようと、そこから親に仕送りをする人もいるわけだ。好きでやっている人はそれで構わないし。別に何とも思わないが、現実的にはこっちは特に問題視されない。何故だろうか?子が親に規制するのはダメだが、親が子に集るのは何故良いのだろうか?理屈から言えば、批判されるべきなのはどちらかというと後者のような気がするが。
私は今のところ親から言われない。というか、親も別に金に困っている感じはしない。だから、親からお金を要求されることはほぼないと思っているが、もしされても断るだろう。というか、本当に生活に困っているのであれば、生活保護を受給することを勧める。個人的には、親だろうが援助している余裕はない。今のところは。現実的に余裕が生まれれば話は別かもしれないが、こっちの将来もどうなるか?分からないから、生活保護の受給資格があるうちは、そっちを頼ってくれと思う。親が子を養う義務はあるとしても、子が親を養う義務はあるのだろうか?法律上の問題は別として、理屈のうえで考えてみたい。まず親が子を養う義務はどう考えたってある。それがいつまでか?というのは意見が分かれるところだろうが、それを「一生」としても、別におかしなことではないように思う。少なくとも子が困っているときには何らかの手段で助けるのが、産んだことの責任ではないのか?と思う。それをする必要がないとすれば、裏を返せば、産んだ子供を見捨てる親がいて良いということになるが、それはダメだろうとする人が多いんじゃないだろうか?そうなると、やはり子は生まれる、生まれないの選択肢がない以上、親が子を養う義務は発生していると思う。
逆に子が親を養わないといけない理由は何かあるんだろうか?というと、私は理屈のうえでは、特に思いつかない。あとは感情的なものに頼るしかない。すなわち、親も含めて兄弟とか血縁関係者は、誰よりも長く一緒に過ごしてきた仲だから、守ってやりたいとか、困っているときに助けてあげたいという、善意から養う気持ちが生まれるくらいじゃないのか?と思うのです。つまり、先ほども言ったが、親に対してそういう気持ちがあるのならば、親からの要求に応えてあげて良いでしょう。でも、そういう気持ちがないなら、必ずしも応える必要はない。というのが理屈からの説明になる。それに反対意見があるとすれば、子供は親に育ててもらったのに(ryというのがありそうだが、それを言って良いのであれば、子が親の面倒を見るのは、親が子を育てたことに対する見返りということになってしまう。そうなれば、親が子をまともに育てなければ、その見返りは必要なくなり、それは何を意味するか?先ほどと同様に、親が子を見捨てることを肯定することになる。
それは介護の問題も同様だと思う。子が親の面倒を見ないといけない理屈はない。善意で親の介護をするのは自由だが、別にしたくない人がいてもしょうがないと思う。そういう気持ちになれないんだから。民法上の子の親にたいする扶養義務自体が個人的には違和感が大有り。どこかに書いてあったが、親が子の面倒を見るのはどの世界でも共通だが、その逆が存在するのは人間界だけらしいのです。自然の摂理から言えば、明らかにありえないことをしている。またはそれを強要する空気も一部存在します。中には、親の方からそういったことを拒絶するケースもあるらしい。つまり、将来の介護などを面倒見る必要ないからと、子を思いやってのことなんだろうが、そういうことを言われて、子供はどういう反応をして良いのか?迷うかもしれない。それは子も親を扶養するという慣習がある程度浸透してしまっているからではないでしょうか?最初からそんな慣習がなければ、親もそんなことをいちいち言わないし、平気で親の介護を放棄できたはず。ただ、そういう慣習がある程度浸透してしまうと、それで良いの?と思えてくる人も中にはいる。
民法の扶養義務もそうだが、生活保護の受給についても扶養義務は存在する。これは親が受給するに当たって、子の財産を確実に調べられてしまうとか、余裕があるならば絶対に援助しないといけないというものではないものの、場合によってはそれが強制される。また、援助できない、しない理由を問われてしまうのです。そういった圧力をかけているのは、国の財政気的問題を、国民に押し付けている状況にしか見えないのだが、一国民が困っているときに国と子供どちらが助ける義務があるか?といえば、それはさすがに国だろうと思う。特定の親だけに限らないけど、その親(国民)の存在で恩恵を被ったのはどっちだ?国だろう。もちろん、子供にも恩恵はあるが、それは果たすべき恩恵だろうと思う。つまり、子育てや養育に関してのことで、それは恩恵というよりもして当たり前の部分だと思う。でも、その親が例えば働いて国に貢献する義務はないわけ。でも、してくれている人は多い。というか、現実的にはそうせざるを得ない状況を作っているのだが。
そして、国民が働いてくれないと国は成り立たない。親は子に果たすべき義務を果たしているに過ぎない。そして、親は国に対しては義務もないことを事実上強制され、貢献を果たしている。つまり、その親に還す主体は、どう考えても国である方が理屈から考えると自然だと思うのです。何故、いつであっても、子が親を扶養する義務を負わないといけないのか?私が親に対して将来介護を放棄、仕送りを必ず拒否するから。というわけではない。親の将来も私の将来も分からないので、今は何とも言えない。ただ、それが法律や風潮によって事実上強要される世の中には違和感しかない。

人生を狂わせずに親の「老い」とつき合う──「介護崩壊」時代に親子の絆を守る (講談社+α新書)
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