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専業主婦とニートの違いは?批判も多いが、定義次第で変わる

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専業主婦とニートは違うのか?ということがたまに言われますが、厳密にいえば違うのか?よく分からない。ニートの定義自体は、15から34歳の間で、学生でもなければ、働いてもいない、職業訓練も受けていない人たちのことらしいです。これが一応定義なんですよ。ただ、ここで問題なのは「働いていない」または「仕事をしていない」という定義です。働くって何ですかね?この働くが英語の「ジョブ」に当たるならば、いわゆる就業している人のことを指し、専業主婦はニートと変わらないとなりそうですが、英語の「ワーク」の方だと、専業主婦はニートとは違う。というか、そもそも純粋なニートなんていないということになると思いますが。だから、定義次第でしょう。定義が曖昧でも、実質変わらないジャン!という意見もあるし、違うという意見もあります。専業主婦がニートに含まれるか?否か?以前に、ニートの定義が曖昧なので、誰をニートとするか?は人の好き嫌いで決められそうなんです。

 

で、専業主婦がニートとは違うという理由が、理由になっていないと思うんですよね。専業主婦がニートではない理由として「家事をしているから」というのがあるらしいのですが、家事をしているとどうしてニートじゃないのか?がよく分からない。というのも、家事をしている、していないの別は、ニートの定義に関係がないからです。ニートに含まれるか?否か?を分けるのは、学生か?労働者か?職業訓練生か?といった部分です。つまり、ここでいう労働者がいわゆる一般的な「仕事」に分類されるものに限られるのならば、家事の有無は、この3つの条件には当てはまらないので、専業主婦はニートになります。逆にボランティアみたいな無給の奉仕のような活動も含まれるならば、専業主婦はニートと違うとなるでしょう。ただ、この場合はそもそもニート自体に含まれる人がほぼいなくなります。給料を稼ぐような労働以外でもOKとなれば、ニートって言われている人たちも何かしらしているでしょう。例えばニートのブロガーがいるわけですよね。ニートを名乗ってブログを書いて、読者を楽しませている人たちがいるわけだ。広告収入をあげていれば、もはやニートじゃないだろうし、そういう収入がなくても、人を楽しませるために行動している時点で、やっていることは専業主婦の家事と変わらない。

 

つまり、誰かのために役に立っているという側面に注目すれば、専業主婦もニートもあまり変わらない。というか、ニートと呼ばれている人たちは厳密に言えばニートじゃないわけだ。つまり、専業主婦はニート変わらない。そして、ニートはニートじゃなかった。だから、専業主婦もニートじゃなくなるということになるのです。専業主婦をそもそもニートの定義から外そうという動きがある理由は、簡単だと思いますよ。それは専業主婦と呼ばれる生き方をしている層があまり多いので、一種の市民権を得られるほどにまで拡大し、世間の見方もニートとは明らかに違う。実質が違うか?どうかは別として、国民の見方や社会の風潮がニートとは明らかに違うということ、そしてそれだけ多くの割合を占めている層をニートと定義づけるのは不適切なのではないか?と思われること。こういった理由があると思う。ニートっていうのは、確実に蔑称なわけですよね。ニートは多くても100万人くらいって言われているから、100人に1人もいないわけだ。圧倒的少数派です。だから、蔑称をつけたって反発が少ない。

 

ただ、専業主婦はそんな比じゃないでしょう。正確な数字は調べられないみたいだが、国勢調査によると、妻が家事に従事している夫婦の数が約1200万ほどあるらしい。圧倒的数字です。そして、国としても人口を維持し、次世代の子供を増やしていくために、専業主婦の存在ってのは大きいのです。妻が働きに出ているよりも家事に従事しているケースの方が、子供が生まれやすい傾向にあると思う。そのため、彼女らは国にとっても非常に大切な存在なんでしょう。ニートと同じか?どうかはもはや関係ない。専業主婦が増えることが、国の未来にとっても重要という観測があるような気がするのですが、共働きになるよりも、妻は家事に専念してくれている方が子供が産まれやすいならば、彼女らを保護しないといけない。だから、特別の名称を与えて、あなた方はニートとは違うんです。と言っている。国の都合の部分もありそうな気がします。江戸時代に年貢を納めてくれる存在である農民を保護し、武士の次のランクにしたような施策と近い気がします。

 

私は働かない(給料を貰えるような労働に従事しない人)がいても何とも思わないから、専業主婦がニートか?どうかという問題はどうでも良い。あと、ニートがいても良いと思っている。別に合法の範囲内で好きに生きれば良いと思っています。ただ、専業主婦がニートと比べて優れているみたいに言われるのは、些か納得が行かない。家事の有無で人間の価値が決まるか?というとそうじゃないでしょう。先ほど言ったように、家事と呼ばれない作業で世の中に貢献しているニートもいますからね。専業主婦の家事を給料に換算したら1000万円以上の年収と言われることもありますが、そもそもその仕事はどこにあるんですか?それはニートも同じじゃないか?と思うけど。ニートの独創性が生きる場所ってあると思いますけど。現実的に稼ぐのが困難な試算を持ち出して、何か意味あるんですか?年収300万円の零細企業のサラリーマンが、やっている仕事は大して変わらない大企業で働いたら、年収1000万円を越えるという話と変わらない気がします。それは現実に可能なんでしょうか?

 

やっている仕事の量や質の話だけを持ち出したら専業主婦の家事は確かにそれだけの価値があるかもしれないが、それだけの市場がないとそもそも給料に反映されない。実際、ハウスクリーニングとかの似たような市場はあるが、そこで働く人はプロでやっているから、専業主婦と比べたら技術水準は高いのではないか?と思うが、そんな彼らは年収1000万円以上なのか?労働量だけを見たらブラック企業で働くサラリーマンは凄いと思うけど、彼らはそんなに良い給料はもらってはいないはず。それは給料ってのは需給関係で決まるから、そもそも1000万人以上いる専業主婦が全員活躍する場がないのです。多すぎる。そんなに需要がない。実際に稼ぐ場が日本には無いのに、この専業主婦の仕事を給料に換算したら1000万円という理屈が全く理解できないのです。

 

 

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