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長生きをすることは本当に幸せなのか?なぜそう思うのか?

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長生きすることを多く人は求めているように思う。私が子供の頃もそう思っていたが、果たして本当にそうだろうか?と、何年も前から思い始めている。長生きしたいと思えている人は、多分長生きすることは幸せになるんだろうと思う。少なくともそう思えているうちは。ただ、全員がそんなわけはな。というか、長生きが全員共通の幸せならば、自ら命を絶つ人はいないはずだ。長生きしたいと思える所以というのは、つまり、今の人生が楽しいと思えているか、充実しているか、のどちらかじゃないだろうか?と思う。つまらないと感じている人生で長生きをしたいと思える気持ちはよく分からない。つまらないくらいならマシかもしれない。何の希望も見出せないような生き方を強いられている人は少なからず存在する。そういう人にとって、その人生を生きることの意味とは何なんだろうか?と思う。

 

うちの親も高齢者が長生きすると、後続の世代に負担がかかりすぎるから、あまり長生きもすべきじゃないね。みたいなことを言っていた気がするが、そういった社会保障の面でも長生きの代償は確認できるのかもしれない。この問題は別にしても、長生きをしたいと思えない人もいるわけだから、その価値観はあって良いんじゃないか?と思う。自殺の問題ともちょっと被るが、多くの人は自殺を否定するでしょう。否定する側の人間は恐らく、長生きしたい側の人間であって、自殺と無縁の人生を送っているか?少なくとも現在は自殺を考えずにいられているか?の人じゃないか?と思います。立場が違いすぎるというのもあるでしょうね。自殺を考えたことがない人、考える必要のない人からすれば自殺に反対する理由は、だいたいが両親が悲しむからか、後はイメージの問題じゃないでしょうかね?こうして考えてみると分かるように、自殺をしようとする人も気持ちは全く慮られていない。要は本人以外で困る人がいるから。両親の問題は、確かに両親は悲しむ可能性が高いが、それで自殺をしないで、そのまま悩み続けていって、本人の人生はどうなるのか?つまり、両親が悲しまない代わりに、本人は悲しい人生を送るだけの可能性もある。

 

イメージの問題については、完全に自殺を否定する側の自己満足にしかなっていない。以前、「就活生による自殺が増える原因は「就職内定率の高さ」 - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の記事でも書いたのだが、自殺をする理由の多くは劣等感だと思う。アフリカの貧しい国では自殺率が低い。貧乏であることは自殺をさせる原因の1つになりうるものじゃないか?と思っていたが、そうでもないらしい。日本が何で自殺率高いか?というと、劣等感を感じやすいからでしょう。それは格差が大きいということにも置き換えられるが、格差が大きければ大きいほど劣等感を感じる人の度合いが大きい。劣等感というのは現在進行形の問題もあるが、過去の自分との比較でも行われると思う。つまり、年収400万円台が平均なのに、自分は150万円しか稼げていないというのが、いわゆる他者と比較しての劣等感であり、10年前は1000万円稼げいたのに、今は無職になってしまった。というのは、過去の自分との比較による劣等感でしょう。日本が各社社会であることを踏まえると、どちらも十分ありえる。つまり、日本だけに限らないが、格差があればあるだけ、それは他者もそうだが、過去の自分についても劣等感を感じやすい。1番厳しいのが過去凄い優雅な人生を送っていたが、今どん底という人です。最初から貧乏な人は他者との比較で劣等感は感じても、過去の自分との比較では劣等感は感じない。

 

ただ、過去に金持ちで今は貧乏な人は、他者とも勿論だが、過去の成功していた自分との比較で劣等感を相当感じていると思います。これが1番厄介かもしれないですね。これは2重の苦しみがありますからね。アフリカで自殺率が低いという話をしたが、アフリカで自殺率が低いのは単純明快で、自分以外の他者も多くが貧乏で、自分もずっと貧乏だったから。自殺の理由は経済的なものだけじゃないからあれだけど、1つの大きな原因にはありえると思います。つまり、先進国である日本よりも、貧乏な発展途上国に生まれたほうが幸せだと感じられる人も多くいるということ。資本主義社会はともかくとして、格差社会は、少なくともこういう問題を生みやすい。あと日本の場合は特に厄介なのが、同質性を求めたがる民族だということ。つまり、他の人と一緒じゃないと叩かれる風潮がある中で、他の人と一緒じゃないと嫌だ、我慢できないという心理状態も生んでいるということ。例えば、平均年収が他者に全然及ばないなんて事態は、劣等感と共に、多くの人が達成していることを自分が出来ないことへのストレスとなる。同質性っていうのは、多数派が少数派に強要する面が強いと思うが、少数派が多数派への憧れとして抱く場合もあると思うのです。

 

そういう国であるという前提がある以上は、そりゃ心の問題についても格差があって当たり前だと思う。どれだけの人が今後も長生きしたいと思えているのか?はワカラナイ。現在そう思えていても、何かしらのきっかけで転落して、一気に死にたい願望が膨らむ可能性もある。それは誰にでもありうる。感情はコントロールするのが難しいから。格差を是正すれば、そういう願望も少しは減る可能性はあると思う。ただ、現実的には格差社会は残り続けるだろうから、その社会の中の底の方に位置する人たちにとっては、長生きしたいとか、今の人生が充実しているとか、そうはなかなか思えないんじゃないか?と思う。自殺までは行かなくても、明日、朝が来なければ良いのに。と思ったことがある人は多くいるんじゃないか?と思う。誰にでもきっかけさえあれば、そういう気持ちになるってことでしょうね。

 

 

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