東京オリンピックのエンブレムをプロのデザイナーに頼んだら、盗作疑惑が持ち上がって使用中止になったらしいが、私はそもそもデザイナーのプロとか、素人という言葉があまりしっくりこない。それはそれ以外の職業にも当てはまることかもしれないけど、いわゆるプロのデザイナーが作ったデザインって、そんなに良いんだろうか?と思う。今回パクりと言われていた佐野研二郎氏のデザインのエンブレムについていうと、あまりパクりか、パクりじゃないか?は別として、デザイン自体がそんなに世間に受け入れられている感じではなかったし、私も正直これが東京五輪のエンブレムなの?という感じだった。私は東京五輪にあまり興味はないのだが。「五輪エンブレム使用中止会見……「模倣でない」「似ても良い」「責任ない」 | RBB TODAY」には中止に至った理由が述べられているが、これを読む限り、中止の理由は似ているだけで非難をしてくる国民にあるようですね。これを要約すると、専門家はデザインの類似性について問題視していない。佐野氏やその関係者は悪くないが、こちらの主張を全く理解しない国民のせいで中止にせざるをえなくなった。悪いのはあなたたちだ。ということでしょうか?
>東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は1日、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会エンブレムについて使用中止を発表した。使用取り下げは佐野研二郎デザイナーからの申し出だが「模倣であるから、という理由ではない」という。
(中略)
>佐野デザイナーはヤン・チヒョルト展に行ったが、ポスター、バナーは記憶にないとし、エンブレムは独自に作ったと主張する。「円が共通すると言われるが、ポスターはTにドット。佐野案は日の丸、鼓動、情熱をイメージした。色も違う。模倣ではない」。
永井審査委員長も、デザイン界の理解としては、佐野案の“9分割画面”は“Tドット”とは違うものだという。「佐野さんの言う通り、オリジナル」。同時に、ここまで色々な問題が生じて国民が納得するかは問題だとも指摘。「残念ながら、専門家の間ではわかり合えるが、一般国民にはわからない」。
(中略)
>ここで佐野デザイナーは、「模倣であるから、という理由で取り下げることはできない」と述べたという。模倣ではないけれど、「昼夜を問わず、本人や家族に対して誹謗中傷」が続いているそうだ。「オリンピックに関わることがあこがれだった。いまやエンブレムは一般国民から受け入れられない。オリンピックに悪影響を及ぼすことを考えると、使用の取り下げはやむを得ない」と述べたという。
デザインについて素人の人たちに理解されないことはあるだろうと思うし、それは良いと思うんだ。理解されなくても良い。理解できないものを誹謗中傷までする国民がいることは正直驚きだが、誹謗中傷をする側が結局勝つみたいな構図は、いじめ問題でいじめられている側が転校を選択するみたいな、凄い理不尽な事態にも思えてくる。私もデザインに関しては素人の立場です。私は佐野氏のデザインはベルギーのデザイナーが製作したものに、似ているとは思うが、盗作か?という判断はどうかな?という感じ。似ているから盗作っていうのも何か短絡的な感じはする。というか、似ているものを探し出すことはやればできるんじゃないの?と、この世に存在するデザインの量を考えたら思うわけです。ただ、この人の場合は似ている疑惑をつけられている作品は1個や2個じゃないらしい。ただ、それも何かあれなんですよね。似ていると何かダメなのか?というのが本音です。似ている判断するのは誰か?まあ、大半は素人ですよね。例えば、競馬の競走馬を何頭か競馬を知らない人に見せたら、絶対に区別なんかつかないでしょう。毛色が同じだったら多分無理だと思うが、競馬好きの人ならば多分区別できるし、有名な競走馬ならば顔や体つきを見ただけで、多分当てられる人も思う。
馬の顔はよーく見たら全然違うんだけど、馬の顔を日常的にじっと見続けている人なんかほとんど一般人にはいない。だから、全部同じ顔に見える。逆に人間の顔なんてみんな同じには見えないでしょう?それは人間のありとあらゆる顔を見続けてきたから。他の動物からしてみれば、人間の顔は全部同じに見えるんじゃないか?と思います。特に以下のツイートが象徴的のようにも思える。
今回の五輪エンブレムの件は、デザイナー目線でいうと本当にこの状態で、「何言ってんだお前ら」ってかんじです。全然違うでしょ?:うちの母はこれが全て同じキャラに見えるらしいwww|ニュース24 http://t.co/vaO181UHJ8 pic.twitter.com/gkILQfOn8b
— コクブカメラ@P.T.A.サミット昼の部 (@kokubucamera) 2015, 8月 5
恥ずかしながら、これらの絵はタッチは違うものの、私はあまり区別が出来ない。似ていると言われれば似ていると思うが、見る人が変われば全然違うだろ!と言われるのでしょうね。アニメキャラクターの顔をまじまじと見続けてきた人も少ないでしょうから、全部同じ顔に見えるという人がいても不思議ではないかもしれない。で、これらのキャラクターは著作権的に何ら問題がないものとして扱われる。プロのデザイナーらしいが、私も人間の感性なんてそんなもんなんだから、似ていると感じる程度ならば、実は似ていないことも多々ありそうだなと思ったのです。似ているレベルじゃなく、同じジャン!と言えるレベルじゃないと、パクりとは言えないんじゃないか?盗用とは言えないんじゃないか?と、似ている、似てないのみで判断するならば、そりゃ似ているという人も出てくるよ。似せるつもりなんかなくても似るのは出てくる。人間の顔は意図的に作れないが、世の中にそっくりさんが出てくるのだから、しょうがない。デザインのパターンをいくつも思いついて、できるだけ既存のデザインに似つかないで、かつ万人にウケやすいデザインを考えるのがプロのデザイナーかもしれないが、それもそう簡単にできるものではない。
だから、今回の問題を言うと、似ている、似ていないで議論をしているのは違うんじゃないか?と思います。似てたらダメなのか?今回の中止決定を受けて、街頭インタビューでも「似ているからダメ」だとしている国民の声があったが、似ていると何でダメなのか?(既存のどのデザインについても確実に似ない新たなデザインを100%作る方法はあるのか?)と質問したいくらいだが。実際、どのデザインにも似つかない方法はあるのか?そこが問題じゃないかと。ないなら、似ているというだけで叩くのは、単純に国民がモンスタークレーマーだということですよね。どのデザイナーからもクレームが入らないような、デザインを考える。それ自体はできるかもしれないが、それが似ていない作品を作ったことにはならない。世の中の全てのデザインを知悉している人間はいないんだから、クレームが来なくても、どこかで似ている可能性はある。その可能性は捨て切れない。似てて良いじゃん!と思う。問題はそれが完全丸パクリと言えるレベルか?どうかであって、似ている程度なら、そんなものしょうがない。デザイン自体がダサいとかのクレームは分かるが、そうじゃないなら本来は使用を中止する必要はないでしょう。
.@kokubucamera アニメに喩えたデザイナー()ってホントにアホだよな。 アニメってのは、絵柄は似てるけど全然違うキャラもいれば、同じキャラなのに似ても似つかない場合もあるからなw その4キャラは絵柄こそ違えど同一キャラであっても全く不思議は無いレベルだわ。それがアニメ
— ころっしー (@Jigou_JItoku) 2015, 8月 16
先ほどのツイートに関してはこういう反論も着ていた。この人はどういう立場からの意見なのか?は分からないが、さっきのツイートって、そもそも一般人からは同じに見えても見る人が見れば全然違うデザインに見えるという例えだと思う。だから、この人の立場が分からないが、絵柄は似ているけど全然違うキャラがいるってことを認めえている時点で、先ほどのツイートの正当性を承認しているような気がするのだが。同じキャラなのに似ても似つかないキャラっていうのは、そもそも同じキャラクターを描こうとしている(つまり、今回の件で言うと、あえてパクろうとしている)から、今回の話題とは180度違う話だろうと思うが。この人は同一キャラに見えるという意見らしいが、このデザイナーの母親と少なくとも私は4つ全部が同一キャラに見えるというのは、なかなか難しく感じる。よーく見たら似ているかもしれないというレベルです。だから、似ている、似ていないで多数決をとって、それで決めるならまだしも(それが適切なやり方かどうか?も疑問だが)、ただ一定の層がパクりだ!盗用だ!と言っているだけで、パクリになるのか?というのは違う気がする。これをパクりじゃないと主張する人間が関係者以外で一応いる限りはね。同じ職業であるデザイナーの感想や意見ももっと聞いてみたいけど。
そもそも、ベルギーの元のデザイン自体がかなりシンプルなものであって、構成要素が非常に少ないものに見える。デザインが複雑でなければないほど、後続作品と意図しないで似る可能性はどんどん高まる。パクりや盗作と騒ぐほど、元のデザインがそこまで完成度が高いようには思えない。「「五輪エンブレム問題」はなぜここまでこじれたのか? 法的論点を整理する | THE PAGE(ザ・ページ)」のページでは、弁護士が解説しており、佐野氏のデザインは著作権侵害とは言えない。という結論になっているようですが。詳しく理由を知りたいという方は見てみてください。今回の失敗を受けて、次回は条件を廃しての公募にするみたいだが、公募にしたって同じことが起きない保証はないでしょう。意図的に似せていなくても訴えられたらダメならば、また同じことが起きない保証はない。似ているくらいでクレームを入れるほうが、私はどうかと思っているが、似ているだけでダメという風潮がありながら、それを確実に回避する方法なんか存在しないのに、それを確実に回避できない方法でまたやろうとしているのは意味があるんだろうか?と思う。クレームがきさえしなければ良いの?クレームがこなくたって、存在する何かしらのデザインに似ている可能性が排除されるわけじゃないからね。万引きをしたけど、ばれてなければ(訴えられなければ)良いということなのだろうか?そこの考え方が私には理解できないのだが。

2020年 東京五輪の黒いカネ
- 作者: 一ノ宮美成,グループ・K21
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