キャリコネニュース「「そもそも1日8時間労働自体が長い」に賛同の声 「週4で6時間勤務が理想」「人間は働き過ぎ」 | キャリコネニュース」には、「そもそも労働時間が1日8時間って長すぎ!」といった趣旨のコラムが掲載されていました、何でそもそも労働時間は1日8時間が原則なのか?はよく分からない。実際、1日8時間では到底すまないケースも多々あるだろうし、10時間とか、それ以上平均して働いている人もいるんだろうから、8時間でも短く感じる人はいるかもしれない。ただ、8時間労働だと、9時始業だとして、夕方の5時までは最低かかる。間に休憩を挟んだりすると、もっと長くかかるわけか。
>日本労働組合連合会の調査によると、日本の労働者の1日当たりの平均労働時間は8.9時間だという。多くの人が1日8時間の所定の労働に加え、1時間程度の残業をしてから帰っていることがうかがえる。
そうした中、8月27日、2ちゃんねるに「1日8時間労働自体がめっちゃ長い」という趣旨の意見が寄せられ、にぎわいを見せている。スレ主は自称「社畜」ではあるが、長時間働くことに疑問を持っており、「残業代全部出るけど、残業なんか1秒でもやりたくないわ」と不満を漏らしている。
私自身、1日8時間労働は長すぎると思っている。というか、これって大学生が1限から5限までずーっと大学で授業を受けている状態と同じってことですよね。私の大学は朝9時が最初の授業で、5限の1番最後(厳密に言えば夜間の人用に6限目の授業も一部あったが)の授業が終わるのが6時過ぎだった。私は1から5限目までずーっと授業に出続けたことはないし、大学のキャンパス内にいたこともない最高で、1から4限目までだったと思う。4限目が終わるのが確か4時半くらいだったかな?これでも1日8時間労働の日には敵わない。ただ、今でも覚えているのはあれでもすっげー長かったと感じていたことです。あの日は本当に長かった。1から4限目まで授業が埋まっていたのは週に1回で半期だけだった。後期からは2限目の授業が空いたので、図書館で寝ていたりしてたかな?おまけに1限目の授業も私は眠くてしょうがなかったので、授業を聞きながら寝ていた気がします。仕事中はそんなことは許されない。
たった半年だけでもむちゃくちゃ辛い長い時間を過ごしていたが、これは勉強だから、何のプレッシャーもない。だから、寝られるし、真面目に聞いていなくても良い。唯一心配なのは単位がとれるか?どうかだけであるが、その心配が生まれるのも一部の授業に過ぎない。精神的には少なくとも平和だった。肉体的には疲れていたけど。仕事のほうには両方疲れえるわけです。しかも、時間がさらに長くなる。これを40年間くらいですか?堪えられる自信はない。高校生活の3年間も似たようなものかもしれない。ただ、あのときも9時が授業開始で、授業が全部終わるのが3時過ぎだった。はっきり言って、先ほどの大学での1から4限目までよりも早く帰ることが出来る。高校生活3年間も肉体的には相当疲れていたと思うが、それに耐えられたのは、やっぱり、寝ていたから。授業中に寝ることが本当に大切だったという実感がもろにあります。1日のうち、1回も寝ることを禁じられたら、とてもやってられなかっただろうね。仕事はもちろん、寝ることは許されないし、常に緊張しながら、ピリピリムードでやらないといけない。とても身体が持ちそうにない。ここにも書かれているように、私も残業代がどれだけ出ようと残業は嫌だ。というか、給料少なくて良いから労働時間を減らしてくれと思うでしょう。給料の金額よりも、働く時間をいかに減らすか?いかに働かないか?の方が私にとっては重要です。
>ただ、長時間労働は仕方ないとする書き込みもある。「残業しないと低賃金すぎて死ぬ」というのだ。しかし問題の根本は、基本給が低く設定されすぎることだ。そこはやはり基本給を上げるか、労働時間ではなく成果で評価するといった人事制度を設ける必要があるだろう。
ちなみに、「1日8時間は長い」と主張する人たちからは、21世紀になって科学技術がこれほどまでに発達したのに、なぜ人間が依然として長時間働かなければいけないのか、という疑問も出ていた。
基本給が安く設定されていることが問題ではない気がする。というよりも、基本給を挙げたところで、別に労働時間は少なくならないと思う。というか、正確に言うと、十分稼いだんで今日は帰ります!とかは言えないということ。雇われている以上は労働時間は自由に決められない。それは企業側にとってみれば、給料が十分だからと働く時間を減らされると、当然利益が下がるから、別の人間を雇わないといけない。ただ、別の人間を雇うと、新たなコストが発生しやすい。だから、2人で8時間働いてもらうよりも、1人で8時間働いてもらった方が随分安上がりになると思う。だから、労働者をそもそも増やすことはしたくないだろうし、基本給を上げても労働時間の削減にはつながらないだろうと思うのです。あと、成果で評価するというのも同様の結果しか生まないと思う。言われていた通常なら8時間かかる仕事を3時間で終わらせました!といったら、そうか!じゃあ残り5時間でこっちも頼む!と言われて、給料はその分上乗せされても、法定労働時間ギリギリまで働かされることには変わらない気がします。会社っていうのは、使える時間をギリギリまで使って、成果を高めようとする。そして、その成果はかかった時間が長いほど良いものと扱われる。こういった現象を有名な学者か、誰かが法則化して提唱していた気がするが。
国が私たちの生活を確実に保障していないから、結局企業に雇われて働くしかない。その1つの選択肢しかないから、歯向かえない。根本はここにあるだろうと。圧倒的に立場が弱いから企業の言いなりになる。ある意味法律上問題行為をやっていなければ、企業が強気に出ても文句を言われる筋合いはないのだろうが。結局、国民の地位や生活が不安定であることが変わらない限りは、企業の言いなりになり続ける事態は変らないでしょう。企業で雇われる必要がない。最悪、無職だってなんとか生きていけるという保障があれば、労働時間に不満があるなら、多くから敬遠される。で、敬遠された企業は人材不足に悩み、労働者の条件に譲歩せざるを得なくなる。現実を変えるとしたら、これしかないと思う。あと、科学技術がどれだけ発展しても、人間の頭が発展しなければ、人間が長時間働き続ける社会は変わらないでしょう。いまだに「働かざるもの食うべからず」とか言っている人たちの頭が発展しない限りは、世の中の風潮としても、満足した生活を送りたいのなら、汗水垂らして働け!という謎の理屈が蔓延し続けることには変わらないでしょうから。以下の本のような国に、社会にならないものでしょうかね?

誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国
- 作者: シルヴァーノ・アゴスティ
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2008/06/26
- メディア: 単行本
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