選挙権が18歳に引き下げられることに起因して、民法の成人年齢が引き下げられた場合、飲酒や喫煙の年齢を引き下げるべきか?という問題が挙がっています。飲酒や喫煙についていえば、18歳からという国もあるらしいが、この国では現在のところは20歳からとなっているのです。18歳に引き下げるべきという案について、賛成は4割程度らしい。酒もタバコもやらない私からしたら、それらが存在するメリットがほぼない。デメリットしかない。年齢を引き下げるという話以前にどっちも廃止してくれというのが率直な感想だが、酒やタバコが法律で認められているのに、何故20歳からなんだ?という疑問もある。年齢引き下げに反対の人の意見を集約すると、飲酒による事故が増えるとか、ビールやタバコによる健康面への影響が大きいらしい。私は前々から思っていたのだが、この理由ってよく分からない。公共への迷惑などを理由にしたものじゃないでんですよね。回り回って公共への影響はあるかもしれないが、飲酒、喫煙をした本人の影響を懸念した理由なわけですよね。
じゃあ、本人の自己責任で良いのでは?という意見もありそう。つまり、成人したって酒やタバコは何らかの身体への影響があるわけですよね。それは多分何歳になっても変わらないと思う。そういう意味では年齢よりは、飲む量や吸う本数の方がよっぽど懸念すべきことにも思えてくる。実際、ヘビースモーカーの人とかって、あまり問題視されてないわけですよね。本人への健康への影響は相当ありそうだけど。その理由の1つは「自己責任」じゃないか?と思うのです。要は吸い方にもよるが、公共への迷惑がないのであれば、本人がそれによって健康への支障をきたしても自己責任で良いだろうという話なのではないではないでしょうか?自己責任っていうのは、凄い便利な言葉だけど、本人の望みで、周囲への影響が少ないのならという話になる。健康への影響というのは、艶麗が下がればそれだけ甚大になるというのも確かにあるでしょう。ただ、それを理由に反対するのは、いわゆる「倫理的」な側面から多分反対をしているってことですよね。
本人がリスクを背負っても良いから酒を飲みたい、タバコを吸いたいと言っている。でも、周りの大人からしたら、何か違和感を感じる。何かこれで良いのか?というのを感じる。上手く言葉には説明できないが、何か反対しないといけない気持ちになる。それが主な理由だと思います。健康への影響がそもそも理由ならば、じゃあ成人後もすうべきじゃないじゃん!という話になるわけ。影響がより甚大になる年齢はいけないが、そうじゃないならば良いというのが、多分今の日本の中に存在する空気なんでしょう。でも、その境界線をどこに設定すべきか?という意見は正解なんかないわけだ。人によって違う。健康への影響を考慮するのならば、一切飲まない、吸わないとするのがベストじゃないだろうか?でも、そこまでは必要ないと多くは考えているんですよね?ってことは、じゃあ、ある大きさまでは健康被害の許容範囲なるものが存在して、その範囲に収まる限りは、健康被害があっても良いということになる。で、その年齢は何歳が適当なのか?という議論になると、答えは出ません。強いて言うならば、少なくとも18歳でも良いじゃん!っていう根拠を1つ与えてしまう。
というのも、飲酒、喫煙の最低どちらかをする人間が多いと思うので、健康被害が少なからず出るのはOKということはほぼみんなが思っているわけですよね。健康被害が出るのはOKという前提があるならば、後はどの程度までを良しとするか?の議論であり、18歳で出る健康被害の程度をよしとする意見があったっていいってことになる。逆に18歳はダメだが、19歳までなら良いだろうという意見もあって良いことになる。逆に20歳でもダメだろう。22歳にすべきだ!という意見もあっていいということになる。何が言いたいか?っていうと、健康被害が一応出ても良いが、程度によってはダメだ。みたいなことを理由にこの問題を語っても、議論にならないってこと。それぞれの意見がそれぞれ正当性を持つことになる。どっちが正しいとはならない。だって、18歳はダメだ!やっぱえい20歳からにすべきだ!という人に対して、18歳の健康被害はダメだが、20歳の人が被る健康被害の程度は何で良いの?と尋ねたらまともな返答は返ってくるはずがない。逆も然りです。単なる価値観の問題だからね。
健康被害を理由に酒やタバコを一切禁止にすべきだ!という主張は一応筋が通っていると思う。ただ、年齢によっては飲酒、喫煙OKということになると、健康被害自体は容認している。年齢によって受ける健康被害に差があるとしても、年齢に関わらず一定程度の健康被害は少なからず出てしまうのは間違いないでしょう。それ自体はよしとするのであれば、それがどこまでを許すべきか?どこまでの健康被害の程度ならば許容すべきか?という主張になると、その「どこまで」という部分は個人の価値判断以上の範疇を一切出ない。15歳、18歳、20歳、22歳といった、それぞれの飲酒、喫煙を認めるべき年齢の境界線となる考えが、平等に正当性を持つ結果になる。多数決をとれば多分支持する人間の数はそれぞれかなり差が出ると思うが、多数決が正当性の根拠にはなりえるというのは難しいでしょう。それぞれの意見が客観的に平等に正当性を持つならば、じゃあそれぞれの考えで良いじゃないか!ということになり、それぞれの人が自分で判断すれば良いんじゃないの?自己責任で良いんじゃないの?となってしまうのです。
同じようなことを最後にまた言うが、酒やタバコを一切禁止にすべきだと考えている人は少数派だろうし、酒やタバコを年齢によって区切ろうと考えている人が大半なんだろうと思いますが、そうなれば、その区切る年齢を何歳にするか?はそれぞれの主張をする人間の単なる価値観でしかない。今回は18歳をメインに議論がされているようだが、中には16歳や22歳にした方が良いなど、別の年齢を主張している人だっているはず。どの程度の健康被害までならば、酒やタバコを嗜むという快楽性を優先しても良いか?というのは個人の価値判断になってしまうわけだから、それを踏まえるならば、それぞれで考えが結構違うし、今回議論の中で意見を主張している人間の大半はどちらかは嗜んでいて、少なからず健康を犠牲に生きている人でしょうから、彼らも自己責任でそれぞれをやっているわけでしょう。じゃあ、何歳から飲酒や喫煙をするか?をある程度自己責任に委ねても、今の日本社会のあり方を見つめたときにおかしくないんじゃないの?と思うのです。極端なことを言ったら、何歳から始めたって本人がリスクを背負うならば良いんじゃないの?ということです。リスクを理解できる年齢以上という制限はついてしますけど。そうなると何歳でしょうね?中学生以上とかですかね?

本当は医者として教えたくないズルい健康法
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