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終戦記念日も近いから、「平和」とは何か?考えてみた

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「平和」とはどういう状態だろうか?国語辞典やWikipediaに書かれている言葉の意味とは異なるだろうが、皆さんそれぞれ独自の解釈を持っているのではないでしょうか?私が捉える「平和」の意味は「世界を構成する全ての人類が、幸せまではいかないまでも、不幸という感情を持っていない状態」と考えます。結構漠然としているけど。つまり、私の考え平和というのは、人々の感情で決まるものであり、世界の客観的な状況で決まるものじゃない。現状の世界を見ると、戦争や争いがあっても、なくても平和とは言えないでしょうね。戦争が起きる世の中を平和と捉える人はあまりいないかもしれないが、戦争を起こしている人にとってみて、戦争起こすことがデメリットしかないなら、起こすわけがない。戦争を起こすからこそ生きられて、幸せになれてという人たちがいる。戦争を起こすからこそ自らの平和に近づく人間がいるということです。

 

つまり、戦争が起きると平和じゃないといっている人間は、自らの平和しか考えてないってこと。それは決して世界平和じゃない。同時に戦争を起こす人間も自らの平和しか考えていないからこそ戦争を起こす。戦争を起こすのも、起こさないのもどっちもどっちということ。そもそも、戦争を起こす理由のうち、国が主体となって起こした戦争を除けば、中には生きるために起こしているものもある。例えば、随分昔の話になるけど、フランス革命とかも国内が戦争状態になったわけだが、戦争を叩く人間はあれも叩くのでしょうか?フランス革命は国民の多数が王の圧政に苦しんでいたわけだが、戦争を起こすべきじゃないと言うのならば、それを我慢しろということですよね。日本でも同じようなことが起きたら、デモやクーデターを起こさずに、時の総理にひれ伏すのが正しいと。こんなときにまで抵抗せずにいる場合か!なんていう人は、結局、都合の良いときには戦争を起こすな!と良い、都合の悪いときには戦争を起こしてもしょうがない!という非常に身勝手な主張をしそうです。世の中の仕組み自体が一定の層以上に有利で、それ以下には不利に働くシステムだから、それと同じような状況は起きているけどね。

 

もうすぐ終戦記念日ですね。この季節になると、日本中が平和についての意味を1番考える時期かもしれない。多くの人は「戦争は起こしちゃいかん」と言っているようですが、それも完全には頷けないかな?って感じです。日本はともかく、世界中には争いを起こさないと、自らの屈強を乗り越えられない人たちがいる。数年前に世界各国で軍事政権がクーデターによって倒された事例もあるが、あれだって争いを起こしたからこそ国民が幸せを掴めた。争いをしなければ、彼らはずっとあのままだった。このケースでは、恐らく争いを起こした国民側を叩く人間はあまりいないと思う。ただ、別のケースで考えてみよう。ある人が一文なしになり、仕事もない、住む家もない、食べ物もない、生活保護も得られなかった。しょうがないので、生きるために盗みに入りました。さあ、この人間をどう思うのでしょうか?私は叩かないけど、叩く人間もいそうですね。少なくとも盗みに入られた家主は怒りそう。事情を知って許すかもしれないけど。

 

あと、最近の話題だと、新幹線内で起きた焼身自殺について、ある芸人さんが自殺した男性に対して、「死ぬなら1人で死んで」とツイートしていたみたいだが、これだって、自暴自棄になったからといって、新幹線内で焼身自殺をするのが良いわけではないが、この男性を自殺するほどの自暴自棄に追い込んだ社会に原因はないのか?と思う。大勢の人は、社会に責任を押し付けられたら溜まったもんじゃないだろうから、反論してくると思う。自分たちこそが社会の構成員だからね。ただね、社会に原因がない。そして、周りに迷惑をかけないで死んでくれ。といういうのなら、結局さっきの話になる。日本が軍事政権によって乗っ取られたり、フランス革命以前のフランスのような状況になったら、争いを起こさずに黙って死ぬべきという話になる。争いを起こして迷惑をかけるな。自分の利益のために周りに被害を及ぼすんじゃない。ということになる。この芸人さんは同じような状況に陥ったときに文句を言わずに耐え続けてくれるのだろうか?ただ、これに関してはどう考えてもその争いを起こすことによって得られるメリットは大きい。大きいというか、恩恵を受ける人が多数いる。

 

さっきの自殺の問題は恩恵を受けるとしたら男性1人だけだ。ただ、クーデーターや革命を起こして恩恵を受けられるのは多数いる。だから、こっちは正当なんだ!というかもしれないが、多数決で正当か?どうかが決まるのならば、端的言ってしまえば、数の力によって、自分たちの都合で同じような行為が良いものにも、悪いものにも変えられるということです。それって権力によって国民を苦しめる軍事政権やフランスの国王と何が違うの?という話になる。彼らも権力を使って、国民を苦しめているが、自分は苦しめられたくないと思っているでしょうから、随分都合が良い。結局、権力で人を苦しめる人、数の力で人を苦しめる人、何も持たないが人を苦しめる人、この3者はやっていることは全く同じだ。違うのはそれによって被害を受ける人数と恩恵を受ける人数の違いだ。それもほとんど結果的に生まれる違いなんでしょうけどね。実際、この3者が同時に人を苦しめ続けているのが、資本主義社会であり、今の日本でしょう。

 

終戦記念日も近いからあえて書くが、戦争が起きないからって、平和とはいえないと思う。見かけ上の平和は実現するかもしれないが、その平和は実質が伴っていないと思う。戦争がない世界が平和だと言う人は、戦争を起こされたら困る側の人間だけです。終戦記念日には戦争や争いが消えることを望む人がいるが、それを望むのであれば、戦争なんか起こさなくてもみんながそれなりの幸せを手に入れられる世界の実現を望むべきじゃないのか?それが実現していない中で、戦争を起こすのはよくないと言うのは、また同じ話になるが、戦争を起こさなくてもそれなりに幸せな人間、戦争を起こされたら困る人間の言い分でしかないでしょう。つまり、彼らが願っているのは世界平和じゃなく、自分たちの平和だということ。自分たちさえ良ければ、他はどうでも良いという資本主義の精神がここも垣間見ているのではないか?と思うのです。

 

 

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