先日、「学長「スマホやめるか?大学やめるか?」に堀江貴文氏が反論 - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の記事で、信州大学の教授の「スマホやめますか?信大生辞めますか?」に関する反論文のようなものを掲載した。堀江貴文氏も反論していたが、私も学長の言葉には違和感が残った。そして、「「スマホやめますか」に反発する情報強者気取りの情報弱者たち - だから僕は海外に出る、さあ君も」のブログでは、それへの反論という形で、学長を擁護する記事を書いています。一部引用してみたいと思います。
>新聞に掲載された「スマホやめるか、大学やめますか」という見出しはかなり強烈だ。それだけ見れば、「スマホなんて百害あって一利なし、スマホやめてオールドメディアを重視しろ」と言っているように取れ、ネットユーザーが「時代錯誤だ」と反発するのもうなずける。しかし、学長が言いたいことは、全文を読めば分かる。見出しや記事だけで脊髄反射で反発するということ自体、表面だけをなめて中枢に迫ろうとしない典型的なスマホ脳と言える。
私は学長の言葉を全文読んだが、そこに書かれていることは、スマホやめるか?大学を辞めるか?の二者択一を迫る以上のものに読める。私が読んだ感じでは、スマホ等のネット媒体への批判が大方を占めており、その「学長の言いたいこと」というのが、このブログの管理者はどう考えているのか?どう捉えているのか?はここの部分にはストレートに書かれていないから、結局何が言いたいのか?も伝わってこない。学長の言葉のうち、どの部分が一体勘違いをしている部分なのか?それはどうしてそう解釈できるのか?が全く分からない。全文読めば分かると言われて、で、あなたはどう解釈したのか?と突っ込まずにはいられない。要は、脊髄反射する人の解釈が間違っていることへの根拠が全くないのです。こういう曖昧な書き方をする感じの人は2ちゃんでよく見るんだけどさ。脊髄反射する人を批判していながら、自らの見解はないのだろうか?
そして、以下の引用文は、この管理者によるスマホの有効活用に例らしい。
>昼食は、友達と一緒に楽しみながら取る。会話の途中で、「これってどういう意味かな?」「今度の週末さあ、○○に行かない?でも混雑とかどうなんだろ?」と切り出され、スマホ(タブレット)を取り出し、さっと検索。用が終われば、スマホは手元に置き、元の会話に戻る。
夕食後は、30分から1時間程度、PC(ブラウザ)を使い、SNS・話題の動画やいつも見ているサイトをチェック。1時間後にはPC(ブラウザ)を閉じる。その後は、音楽を聴いてリラックスしながら、読書する。あるいは、英語や学校の勉強をする。分からない言葉が出てきたら、そのつどスマホで調べる。ついでだからといってSNS・BBSやポータルサイトは見ない。
そして、以下がネットで消耗している例らしい。
>昼食は、向かいが壁の「ぼっち席」に座って、スマホを片手に食べる。*1 *2 ほぼ毎日こうである。「SNSには友達が1,000人いるぜ」といったところで、リアルでは一緒に昼食を取る人がいない。10メートル以内にいるかもしれない気が合う人とより、1,000キロも離れた見ず知らずの人との議論にいそしむ。それで「リア充がー」と言っているのであれば、非常に滑稽である。
夕食後はすぐに自室に戻り、日付が変わるまでひたすらネット。「そろそろ寝るか」と布団に入り、消灯した後も布団の中でスマホ。1時間ぐらいしてようやくスマホをやめる。(翌日が休みの場合は、明け方近くまでネットに夢中になっている)
恐らく前者と後者の例を比べて、前者は必要性最低限のネットの利用に留めており、メリハリがついているということを言いたいのでしょう。後者はそれがないと。で、ネットで消耗していることへの批判のつもりで書いているのではないか?と思います。で、これらの行為を「全然大したことない」とか、「情報強者気取り」とか、「ネット依存症」と言う言葉で揶揄しています。ネット依存症は程度によっては当てはまる気がするけど、大したことないというのはそれはあなたの個人的評価であり、今回の学長の言葉に反論する人が情報強者を名乗っているなんて聞いたことがない。結局、それらも含めて思うのは、それの何がいけないの?ということ。
はっきり言って後者の例は、私にも当てはまっている部分もある。夜寝る前に布団に入りながら、携帯で2ちゃんをチェックし、ぶつぶつ独り言を言いながら、数十分過ごし、ようやく眠りに就く。それがもはや日課となっている。で、それがダメなのか?何か問題があるのか?家でテレビを見ている、映画館で映画を観ている、球場で野球を観戦する、マンガ喫茶でマンガを読んでいる日常と何ら変わらないと思うのだが。傍から消耗かもしれないが、本人にとってはそれは趣味であり、「楽しいこと」なんでしょう。それが心情的に理解できない人がただ批判をしているだけにしか思えない。ただの消耗にしか見えない行為かもしれないが、その消耗の何がいけないのか?
>私のブログで常々言っている、ワークライフバランスが大切なように、オンラインとオフラインの双方の利点を理解し、それらをバランスよく使い分ける「ネットリアルバランス」が大切であると思っている。
そもそもワークライフバランスは大切なんですかね?「大切にしよう」という風潮は確かにある。ただ、私はそうは思わない、仕事とプライベートを1:9くらいいしたいと思っている。働きたくないのです。仕事の方に多く時間が割かれてしまっている人は、せめてその割り振り方を5:5に近づけたいという思いはあるかもしれないが、そういう人だって、別に5:5が1番満足できる割り振り方とは思えない。仕事なんかしたくないんだよ。大勢の人は。ワークライフバランスに関しては、バランスが大切というよりは、働きすぎが問題だと思うのです。だから、独身者、既婚者にもよるんだろうけど、働きすぎは問題だと思うけど、働かなさすぎは別に問題だとは思わない。それで生活していけるなら本人の自由としか言いようがない。
別にバランスを求めないといけないものではないと思う。ネットとリアルを使い分けるバランスが大切だと管理者は言っているが、バランスを重視すると、何がどう変わり、どういう良いことがあるのだろうか?リアルの会話が全くないような人たちはともかく、割合的にネットのかかわりが深くて、リアルの会話が相対的に少ない人がいても、それが特に問題を生むとは思えないのだが。結局のところ、全体的に批判の根拠もよく分からなければ、何のために批判をしているのか?が個人的にはよく分からない文章なのです。
ネットの上の別のブログには、この学長の言葉をストレートに受け止めずに、やや解釈を変えて、「学長はスマホがダメと言っているのではなく、使い分けができるような人間になろうと言っているのでは?」といった感じの意見もあるが、その解釈は相当無理がある気がする。というのも、この学長はスマホ依存症=毒と言っている。これは挨拶全文に載っている。その時点で、この学長がスマホに対して有用性をほとんど見出していないとととれる。依存症はダメで、バランスよく使える分に関しては良いともとれなくはないが、結局「スマホやめますか?」や「スイッチを切りましょう」という言葉を使ってしまうと、スマホをバランスよく使うことさえもダメにしか解釈できず、スマホそれ自体を使うのがNGという風にしか聞こえなくなってしまう。こういう言葉を「スマホには便利な面もあるのだから、上手くバランスをとって使い分けよう!」と解釈するのは無理があると思うし、実際にそう思っているとは思えない。逆に本当にそう思っているのならば、もっと分かりやすく伝える方法、言葉の選び方があるだろうと思う。私の論理的読解力に問題がないとは言うつもりはないが、少なくとも私はそうは読めないし、同じく読めない人も多くいると思う。無理な解釈をしない限り、そういう解釈にはならないと思うのです。

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