キラキラネームの話題をこのブログでも何度も取り上げてきたのだけど、キラキラネームの問題は本当は子供を中心に考えるべきだと思います。少なくとも子供が何とも思っていないにもかかわらず、関係ない第3者が「キラキラネームは可哀想」なんて風潮を作り上げると、「ひょっとして、僕の、私の名前はかわいそうなの・・・?」と波風を立てることにつながりかねない。結果的に子供を不幸にしている可能性すらある。というのも、私自身、キラキラネームか?普通の名前か?にかかわらず、これ自分の名前だったら嫌だな。と思える名前がいくつもあるからです。代表的なのでいうと、キラキラネームとされている名前であれば、「黄熊(ぷう)」という名前はよく見ますね。これは男の子なのか?女の子なのか?ちょっと分かりませんけど、これは私が自分の名前だったら、ちょっと・・・。と思うでしょう。何が好きじゃないか?というと音ですかね?響きのイメージです。この名前をつけたご両親、子供には失礼になってしますけど。
逆にキラキラネーム扱いされている名前でも、これ自分だったら結構気に入りそう!というのも実は結構ある。「七音(どれみ)」、「希空(のあ)」、「愛々(なでぃあ)」あたりは結構好印象な名前です。確かに今まで見たことないから珍しさは多少感じるものの、自分は男ですけど、性別は無視して、こういう名前だったら、別に嫌だとは思わないですね。逆に普通にありふれた名前の中でも、私はこの名前は嫌だわ。というのがいくつかあります。例えば、「まこと」、「たけし」、「まさる」、「はじめ」、あたりでしょうかね?これらの名前の方には申し訳ないですけど、一個人の感じ方の問題なので。男の名前であれば、これらの名前はよくある名前でしょうけど、特に個人的にはつけられたくない名前ですね。逆にありふれた名前で、この名前が良かった!と言える名前というのは、私の場合はほぼないです。苗字はこれが良かった!っていうのは何個かあるけど、私はどうやらありふれた名前が好きじゃないらしい。私が仮に子供に名付けるとしたら、多分よくある名前はつけたがらないと思います。だからといって、キラキラネームまでいくような個性が出まくっている名前にしたいとも思いませんけど。
やっぱり、あれなんですよね。よくある名前って、空気を読んだ感がすごい感じるようになってきてしまいます。何か名前をつけたというよりは、「選んだ」って感じが物凄いある。現代のよくある名前のカタログみたいなのがあって、その中から選んだ。というのが、しっくりくるイメージです。逆に個性的な名前の方が、これは両親が凄い考えて付けたんだな。という印象です。私の例で示したように、実はキラキラネームもそうだけど、よくある名前でも、この名前ちょっと嫌だな。と感じる人は多いと思います。実際、自分の名前がありふれた名前であっても、この名前変えたいわ。という人は結構多いみたい。ただ、そう簡単に改名はできない。明らかに日常生活の中で不都合が生じている場合など、少なくとも嫌いという理由だけでは無理でしょう。そういう意味では、キラキラネームって「読めない」という明らかに不都合な事態があるので、改名のハードルは低いと思います。つまり、子供が自分の好きな名前に変えられるチャンスが大きいってことです。それはそれで不幸中の幸いですよね。
誰もが読めちゃう名前が気に入ってないとしても、まず改名は無理でしょうから、1番悲惨なのはこのパターンかもしれない。普通の名前だけど、本人が気に入らない場合というのが、名前によって人生を左右される1番の例かもしれません。実際、改名したいと思っているどれくらいいるのか?分からない。親に申し訳ないから、改名したいなんて言い出せない。という人もいるでしょうからね。改名するっていうのは、整形で顔が別人になるくらいの大転換になると思うので、したいと思っていてもなかなかできないでしょうから。私は結局は、キラキラネームだろうが、そうじゃなかろうが、名前っていうのは一生変えられない前提でつけるものなのだから、何で親が代わりにつけるのか?そんな慣習になっているのか?というのが不思議でしょうがない。子供のことを思ってキラキラネームを叩くのであれば、尚更ですよね。親が命名権を持っている以上、キラキラネーム、普通の名前に関係なく、そりゃ子供が望んでいない名前がつけられるケースがあることは当然に予想できる。で、そこが問題というのなら、その根本がおかしいということになるはず。国が親に命名権を託してたら、そりゃこうなるよ。という話であり、最終的に問題視すべきなのは、結局は国だろうと。家庭裁判所も単なる珍しさとか、好き嫌いの理由で改名を認めていないならば、国としても、単にキラキラネームというだけでは、社会一般的に問題が生じているとは言えない。という解釈なのでしょう。
つまり、キラキラネームを叩く人は、単に見たことない、真新しい部分が自分として受け付けなくて、それ自体が問題であり、そこを批判しているのでしょうけど、国のスタンスとしては、そんなの問題じゃないだろう。ということであり、そのスタンスを親が命名の際に汲み込んだというだけの話な気がします。だから、そもそもキラキラネーム批判論者が争うべき相手は国じゃないか?と思いますよ。子供が可哀想だというのであれば、親が命名をする慣習を改めるべき!とか、国を相手にするべきで、そういう主張をした方がまだ良いかと思います。実際、命名権の濫用と認められなければ、親の命名が無効になることはないですし、実際に過去に無効になったケースは「悪魔くん」くらいじゃないですか?要は、ここまでこないと国としても実際に問題視していないわけで、結局は昨今話題になっているようなキラキラネームは、別にそんなに騒ぐほどじゃないだろう。というのが国の見解なんじゃないですか?そこがキラキラネーム批判論者との感覚の違いということでしょうから、親は国が認めている命名権の範囲内で名前をつけているに過ぎないわけです。だから、彼らが批判をすべき相手は、親じゃなくて国だと思うんですけどね。国が姿勢を改めれば、彼らが批判の対象としているキラキラネームは根絶しようと思えば多分できる。それか、改名のハードルを下げて、一定の年齢になれば、誰もが好きなように名前を変えられるようにすれば良い。そう主張した方がまだこっちとしても理解できるのですがね。

名づけの世相史 「個性的な名前」をフィールドワーク (文化人類学ブックレット4) (京都文教大学 文化人類学ブックレット)
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