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秋田県の「なまはげ」が児童虐待に当たる等で消滅危機?

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先日の「ビートたけしのTVタックル」で、秋田県の「なまはげ」が存続の危機に陥っているということが伝えられていました。私はそんなになまはげには関心がないので、ほとんど他人事のように見ていましたが、実際、なまはげがほぼ消滅したとしたら何か問題なんですかね?なまはげがどうしてこういう状況に追いやられてきたか?というと、単純になまはげの恒例行事を受け入れる家が減ったということで、30年前は40数軒あったのが、今では10数軒だそうです。これが今後減っていくのか?分かりませんけど、減ってきた要因として大きいのは、なまはげに扮して子供を脅かすのが「幼児虐待」なのではないか?とされていること。そして、なまはげがくることに備えて、家の中を片付けたり、綺麗にするのが面倒だということみたいです。どちらも分かる気がしますね。

 

特に幼児虐待のほうは、体罰問題とかが叫ばれている昨今ならではの問題らしく、これは私もそうかな?と思えてきます。あれは大人は、単純に演技しているって分かるから、別に何とも思わないかもしれないけど、何も知らない子供が見たら、これはちょっとトラウマになるかもしれないなと思えてきます。トラウマにならなくても、その瞬間は相当な恐怖に苛まれることになりますよね。実際、なまはげって、子供たちのしつけなどのために行われるものだと思うんですけど、なまはげが正当化されることにあると、じゃあ子供をしつける必要が生まれたときには毎回、鬼の形相で、出刃包丁を持って、子供を叱って良いのか?ってなりますよ。それは流石に反対の人が多いんじゃないかな?と思いますけど、やっていることはそれと一緒だと思うんですよね。それがなまはげの場合は年に1回ってだけで。

 

そんな感じで、私はこれは幼児虐待ととられてもしょうがない面があると思うのです。ただ、中には伝統行事だから残してほしいという声もあるみたいですが、残してほしいという理由に合理性があるのかな?と思う。ただ、文化として長く継承されてきたものだから残すおちうのは、あまり理由として適切じゃないような気がする。実際、今後なまはげを受け入れる家が皆無になったとして、需要が無いのに無理矢理なまはげの伝統を残すとなると、拒否している家に無理矢理侵入していくってことなのでしょうかね?それこそ犯罪になるんだけど。これって、単純に企業が世に出してきた商品の需要がなくなってきて廃れたパターンと同じだと思っていて、授業がないものをわざわざ無理矢理残す意味はないんじゃないか?と思うのです。じゃあ、やりたい家だけで自分たちがなまはげに扮してやれば良いじゃないか?となる。VHSからDVDやブルーレイに変わったときに、VHSはそれまでに日本の伝統的な記録媒体なのだから、VHSも残すべきだ!なんて声がどれほどあったのでしょうか?

 

実際、秋田県民がなまはげを拒否しているわけですから、秋田県全体として「なまはげいらないんじゃないの?」という意思表示をしているに等しいので、それをわざわざ継続していく意味があるとは思えないのです。しつけはなまはげがいなくたってできるでしょうよ。なまはげがない秋田県以外の地域の子供が不良化しやすいなんて聞いたことないし。今回のTVタックルを見て、改めてなまはげの存在意義については、やっぱり疑問点が残りますね。番組では、最近のなまはげ事情が映し出されていて、最近のなまはげは家に入らないのだそうです。家の外から玄関を叩いているだけ。ただの不審者にしか見えないような光景で、凄い微妙な空気になっていましたけど。実際、なまはげに扮する人も高齢化が進んでおり、跡継ぎみたいな人たちが出ない限りは自動的に消滅してしまうのかな?という気がしています。

 

伝統を守るべきか?否かというときには、現時点で特に何の支障もなければそのまま継続していれば良いんじゃないの?と思いますけど、何らかの支障が出ているのに、無理矢理伝統を続けていくのは、やっぱり違うと思うし、支障が起きているからこそなまはげを拒否する家が増えたということでしょうね。私は秋田県の人間ではないので他人事かもしれませんけど、そもそも、このなまはげという伝統行事が、今思えばよく伝統として根付いたなと思うくらいです。よく言えばしつけ、悪く言えば脅迫にも見えかねないこんなやり方が今までよく続いたなと思うくらいです。もう少し別のやり方があったんじゃないか?と思うけれども、昔はそうでもなかったのでしょうね。私がなまはげに対してどちらかというと否定的なのは、同じような体験をしているからです。教育という意味で言うと、小学生の頃に学校で「火暮るの墓」を見たんです。正確にいうと、見させられた。それが当時トラウマになって、2度と見ないと決めています。何が嫌っていうと、絵ですね。ストーリーとかいうよりは、特定のシーンが物凄く脳裏に焼きついてしまって、15~20年くらい経ったと思うけど、未だに頭から離れない。あんなもの見せやがって!と、今でも当時の教師にちょっとだけ怒りがあります。大人はそんなつもりないだろうけど子供はどう感じているか?分からない恐怖ってあると思うので、私は同様の恐怖を与えかねないなまはげにもイタズラに恐怖心を与えている側面はあるように思うのです。

 

トラウマにならなきゃ良いという問題でもなく、一瞬の恐怖を与えるだけでも十分教育として逸脱している気もします。なまはげ自体は本来は、ただ恐怖を与えるだけのものではなく、子供を襲うなまはげから親が助けるというストーリーを持ったものらしいのです。だからなんだ?としか言いようがないですけどね。そんなことを2歳とか、3歳の小さい子供が理解できるとは思えない。そういった意味では、私も子供の頃に父親と一緒に通っていたヒーローショーも、客席に敵の下っ端がやってきたりするシーンがあるが、あれも正直、ちょっと・・・。って感じかもしれない。ただ、こちらの方は観に行く子供はもっと年齢が上じゃないか?と思うのと、ちゃんとその後にヒーローが助けに来てくれるという段取りを子ども自身も理解している気がする(少なくとも私は当時そうだったと思う)から、例としては不適切かもしれないけど。なまはげの是非については、秋田県民自身が判断してほしいと思うけど、私が当事者ならばなまはげ拒否するでしょう。

 

 

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