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選挙に行かない人は全権委任に等しい←考え方が無茶苦茶

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選挙に行かないと文句を言うべきじゃないという人がいる。国民の関心ごとである選挙にも行かないのに文句を言うとは何事だ!と怒る人は選挙に時期になる少なくない。私自身、日頃は選挙にはほとんど行ってない。理由は明確で「行く理由がない」からです。今回はちょっと興味のある政党があるので、投票に行こうかな?と思っているけど。それでも別に投票に行かない人が文句を言うべきではない。とは思っていない。結局、こういうことを言う人は、あまりに都合のいい理論を押し付けすぎている。というのがまずある。「リバタリアンな棄権主義 「選挙に行かないやつは政治を語るな」への反論 - 二十一世紀日陰者小説」というブログには、選挙の棄権を白紙委任と同様の意思表示だ!と解する人への反論を掲載しているので、まずはそれを引用してみたいと思います。

 

だがなぜ棄権した人間は政治を受け入れたとみなされるのだろうか? 熊谷市長は「棄権は他人の結論を全肯定するのと同様である」と主張している。しかしそれは恐ろしく都合の良い解釈である。「無条件信任」とは「AでもBでもCでもいいや」という態度の表明だが、僕は「AもBもCも嫌だ」と言っているのだ。どれも否定しているのだから、仮に否定していたAが当選したとしたら、彼の行う政治に対して僕は批判をぶつける、否定している人間を批判するのは当然の行為である。棄権は「誰も支持しない」という態度の表明でもあるのに、それを「棄権は誰でも支持するのと同じ」と都合よく読み替えられる思考の持ち主は幸せである。

 

A候補は美術館を建設すると公約に掲げ、B候補は水族館を建設すると公約に掲げている。あなたはどちらも無駄だから建設するべきではないと思っているから、A候補にもB候補にも投票せずに棄権した。そしてA候補が美術館を作るというので、あなたが美術館なんて必要ないと批判するのは当然のことだろう。「棄権者には批判の権利がない」理論を使えば、もしあなたがB候補に投票していれば批判する「権利」があったのだということになる。しかしなぜ水族館を作るべきではないと思っている人間が水族館を作るべきだという人間に投票しなければならないのか。なぜ水族館を作るべきだと言う人間に投票すれば、何も作るべきではないと主張する「権利」が急に得られるのか、甚だしく奇妙な話であり、この理論の論理的破綻を示す結論である。

 

ここでも書かれているように、選挙を棄権する人が白紙委任をしたという解釈は非常に都合の良いものでしょう。実際、選挙に行かない人の中には本当に全権委任した人もいれば、そうじゃない人も大勢いると思うからだ。実際、私が選挙に行かないときの理由は、少なくとも全権委任の意味を込めてはいない。すると、こういう解釈をする人は、真実を捻じ曲げないとできない無理な主張をしているということになります。この時点でも彼らの分は悪いと思えるけど、仮に真実を捻じ曲げて、自分たちの主張を通すための都合の良い解釈をすることがOKならば、もはや確実に信任できる政党や候補者がいない限り、選挙に行く意味がほとんどないということになってしまうと思うのです。

 

それは政治家だって、当然都合の良い解釈をしても良いということになるからだ。例えば、抗議の意を込めて、白票を投じる人がいるが、これだって、白票の数がいくら多くなったって、政治家が都合の良い解釈をするのならば、ただの書き忘れで投票しちゃったんでしょ?と思うはず。少なくとも自分たちへの抗議の意を込めて白票を突きつけたなんて解釈する必要はない。白票に関しては、そもそも書き損じ等の無効票と同様に処理されるので、白票自体がカウントされることはないようだけど。また、特定の候補者や政党に投票された票も、積極的に信任する投票もあれば、選べないから仕方なく1番マシなところに入れたという場合もあるはず。しかし、これも都合解釈するならば、自分たちにきた投票の全てが積極的な信任による投票だろうと。妥協によってされた投票なんて1票たりともない!と、都合よく解釈することも可能ですね。こうした都合の良い解釈をすることで、政治家自体に特別問題が起きることは考えられないから、彼らが現実的に溜まっている国民の不満をこうした形で無視する可能性は十分ある。

 

すでに説明したように、都合の良い解釈を許すならば、選挙で自分たちの不満を晴らそうにも、それは不可能だ。政治家には都合の良い解釈をされて、真意なんか伝わらない。ということになってしまい、じゃあ結局選挙に参加してもないじゃないか!不満を晴らすには、それ以外の別途方法をとるしかないじゃないか!となってしまいます。結論として、選挙では不満を晴らせないのだから、別途不満を晴らす必要が生じ、選挙に行かないで、文句を言う行為がある種合理化されてしまうのです。また、選挙に行った人間は文句を言えて、選挙に行かない人間は文句を言えないとなると、選挙に行ったからこそ文句を言う権利や資格が手に入る。という理屈になると思う。しかし、そうなると選挙が始まる前の段階はどうなるのだろうか?まだ誰も投票していない状況では、国民全員が文句を言えないという奇妙な状況が発生するような気がする。そんなことがありえるのか?

 

選挙に行かない奴は参政権を放棄したも同じだ!という人もいるけど、それはおかしい。選挙に行かないで放棄したのは選挙において1票を投じる権利以外の何物でもなく、参政権そのものを放棄したと見なすのはあまりにオカシナ考え方だと思う。実際、参政権を放棄したといっても、次の選挙では同じように選挙権は付与され、政治に参加する権利が与えられている。だいらい参政権=選挙権ではない。選挙権は参政権を構成する一要素に過ぎない。私は政治に対する文句というのは、選挙に参加すると同じく政治に参加する行為に等しいと思う。だから、別にこの2つはセットになるべきものではないと思うし、好きな方を行使すれば良いだけじゃないか?と思う。政治に文句を言うというのは、人間誰しもが他人に意見することができる生まれながらに持った、基本的人権の自由権(言論の自由)だと思う。それが侮辱や名誉毀損にあたらないのであれば、ある種自由に行って良いものであるはず。それとは別に政治家を選ぶ権利が参政権であり、こちらは年齢制限などが課されている。

 

政治家に意見する権利(文句を言う権利)は生まれながらにして与えられた基本的人権ならば、参政権をどれだけ高く見積もっても、せいぜい対等に並ぶものであり、少なくとも参政権が上に位置するとは考えづらい。ならば、参政権の中の選挙権を行使しないと、残りの基本的人権が行使できないという理屈はどう考えても通らない。何を根拠にしているの?ただの感情論でしょ?と言われてもしょうがないのです。彼らは結局、投票に行かない行為そのものに恐らく嫌悪感を感じていて、それへの仕打ちとしてこういうことを言っている気がするのだけど、そういうことを今後も言い続けるのであれば、投票率が向上するなんてことはありえないと思った方が良い。こんな嫌味を言われて誰が投票に行きたくなるのだろうか?と思うのです。

 

そして、一般市民のレベルでは選挙に行かない人間に対しておかしいとか、なぜ行かないのだ?という理由が毎回議論になることもあるが、政治学者レベルになると、選挙に行かないのは当然であって、選挙に行く人の方が不思議なんだそうです。というのも、政治学者の中には「選挙で投票しても、結果を変えられる余地はほぼないので、無駄なことはしない」という意味で選挙に行かない人の理由を見出すことは容易いらしいが、「選挙に行っても結果にほとんど何の影響も与えられないのに、なぜみんな選挙に行くのか?」という理由はどうやって考えても出ないらしいのだ。こんなことを言うと、いやいや俺たちはちゃんと意味があると思って行っているんだ!と反論はあるだろうが、学者が指摘する部分には関しては紛れもない事実だと思うのです。投票に行けば特定の世代の投票率が上がって、それに意味があるんだ!という反論をしている人もいたが、特定の世代への投票率だって、自分1人が選挙で投票したところで、ほとんど影響がないって事実は一緒なわけじゃないですか?自分自身で影響を与えられる部分が限りなく小さいというのは、選挙結果も投票率も同じだと思うのです。

 

実際、20代や30代の若者の投票率は30%台くらいで毎回推移しており、上がる気配は全くない。行くだけ無駄と考えている人の考えが妥当してしまっているというのが、現状を見ると明らかなわけです。だから、政治や社会を変えたいならば、選挙で投票するよりも、別の手段をとった方が早いし、確実なのでは?という考えになるのも無理はないでしょう。それこそ今はネットが進化して政治家もTwitterとかFacebookやっていて、直接彼らに意見できる機会って山ほどあるわけじゃないですか?選挙で投票するというのは、具体的な不満を伝えることも、具体的な希望を伝えることもできませんが、文句を言うっていうのはそれができるわけだから、そっちの方が合理的だし、回数に制限もないし、良いんじゃないですかね?選挙なんてたまにしかないし、1人1票だし、制限があまりにも多いけど、TwitterやFacebookを通じて意見をするなんていうのはいつでも、何回でも可能だし、選挙に行かないでそういう手段を使って、文句をぶつけているならば、私はそっちの方が合理的と思わずにはいられないのです。おまけに選挙っていうのは、考えとか政策が固まった中からどれを選ぶか?しかできないのが問題で、その考えや政策が固まる前に影響を与えられるのが文句なわけじゃないですか?だから、選挙に行かない人は文句を言う権利はないとかいってしまうと、自分にとって理想的な候補者や政党が出現する余地がそれだけなくなり、より一層選挙に行こうと思える魅力的な候補者や政党が出てきづらくなり、投票率は上がりません。だから、少なくとも投票率を上げたい人は、選挙に行く、行かないにかかわらず文句を言うのはオールOKくらいの姿勢でいた方が得策だと思うのです。

 

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