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「なぜ勉強しないといけないのか?」に対する本当の理由

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子供そうですが、大人も当然思っていることとして、何故勉強しないといけないのか?という疑問があると思います。度々いろいろな人のブログでも取り上げられるテーマです。勉強しないといけない。本来はそうじゃないと思うんですよね。憲法で子供の教育の権利と、保護者の教育を受けさせる義務が明記されていると思うのですが、不登校の子供はじゃあ憲法違反か?というと、そうではないでしょう。不登校の子がいても別に逮捕されたりはしません。憲法は国民には特に義務は課さないからです。でも、子供が望んだときに親が教育を受けさせる義務を負うというのが、1番無理のない解釈なのではないか?と思います。本来はこのように不登校が許されるし、勉強をしないといけないわけではないのですが、世の中的には勉強をしないといけない。風潮が支配していると思います。それは何故でしょうか?

 

そもそも、何故国は子供に教育を受けさせるのでしょうか?それを考えると、答えが出そうな気はします。教育を受けさせることにどういうメリットがあるか?というのがポイントですね。私の考えでは、国が子供の頃から教育を受けさせるのは、国にとって不都合な人間にならないようにという思いが強い気がするのです。これは例えば、犯罪を犯さないとか、迷惑をかけないとか、反国家的な思想を持たないとか、そういうことです。教育というよりは洗脳近いかもしれません。これは学校教育全体を通して行われるものです。その中でも、いわゆる勉強といわれるものはどうして学ばないといけないのか?国語、算数や数学、英語とか、そういうものを学ぶ必要はどこにあるのか?私は個別の人間で見たら、こういう科目を学校で学ばないといけない必要性がない人もいると思います。でも、世の中の人間を平均すると、これらの科目を学ぶことが将来的に役立つ可能性が高いだろうと見込んでいると思うのです。

 

役に立つというのは、働くときですね。要は国は、子供のときに教育を施して従順な人間に育てていくとともに、将来は働いて国の富を増やす役割を担うことを前提に考えているのだと思います。国民1人1人は将来どうなるか?は分からないものの、平均してしまえば、将来はサラリーマンになる人が圧倒的多数というのはあらかじめ分かっていますから。彼らが将来サラリーマン等になって働くときに支障が出ないように、働いて税金を納めて、分配可能なパイなどの国富を大きくし、国を動かすトップの人間にとっても、国民が作り上げたパイから一定量を奪う権利を合法的に有しているという点から、都合が良いということがいえるでしょう。自分たちの代わりにたくさん働いて、その分配に預かって生きていくのが、システム的には多分1番効率的なんでしょうね。会社とか1番典型例だと思います。個人事業主のままではなく、会社を立ち上げて、従業員を雇って仕事をしていくスタイルを選ぶ理由は、さっきと同じ。雇った従業員が作り上げたパイのおこぼれを、会社のトップの人間らが頂戴していくやり方の方が明らかに効率的だからだと思います。

 

また、その過程ではいわゆる学校の勉強とは違った勉強も教わることになります。それは1人の人間として、社会にとって不都合な存在にならないための勉強です。犯罪を犯さないとか、人に迷惑をかけない(これは個人的に凄い嫌いな言葉です)とか、そういうことを同時に教えていく。これも国にとって重要な要素になります。また、国民にとっても重要だと思わされている面もあるでしょう。国にとって従順じゃない人間というのは、国の発展を阻害し、国のトップの人間にとって多大な迷惑を被る存在ということです。それは分配可能な国富を最大限作り上げる過程を邪魔する、おこぼれを頂戴する側の人間にとって、配分される分が減ってしまう。だから、教育はそういう国にとって、トップの人間にとって邪魔な人間を生み出さないための方途であって、本来の教育の目的は国民のためではなく、あくまでも国のためなのです。ただ、教育を施すことによって、教育を実際に受けた国民にも一応の反射的なメリットはあるはずですから、いくら本来の目的がそういうものであったとしても、それによって教育を施すこと自体には文句がこないというのが現状だと思います。

 

現実問題として、義務教育の小学校と中学校で多様な科目を教えていますけど、やっぱり今になって思うのは無駄が多いと思うのです。当時から「これ何の役に立つの?」と思っていたことは山ほどありましたが、大人になった今でも、それが今のところ役に立てない率というのはかなり高いと思うのです。役に立つものもあれば、そうじゃないものもある。そして、後者の方が圧倒的に多いのではないか?と思うのです。そうなると、要は答えが1つ生まれるような勉強についていえば、別に小学校から教える必要ないのでは?と思うのですよ。要はそれを教わっていなくて、大人になってなんか困ったときにggれば良いじゃないか?答えがインターネット上にあるのだから。答えが1つ存在するような勉強は、別に必要なときに備えて勉強しようとすると、先ほど言ったように多くのムダが出てくる。じゃあ、必要になったときに必要な分だけを自分で学べば良いのではないか?

 

今はネット上に膨大な情報が溢れていて、Yahoo知恵袋やスカイプ等を通じて、誰か専門家を探して直接質問することだって可能です。要はいわゆる数学、理科、社会、英語などの答えが確実に1つするようなことを学ぶ勉強についてはやる必要なく、インターネットの使い方だけ教えておけば良いのではないか?逆に、1つの答えを追い求めないタイプの勉強、例えば道徳などは学校であえて指導していく意味はあるのではないか?と思う。私の今のところの人生経験を踏まえていうと、学校で習った勉強のうち、自分で役に立ったと思える部分はかなり少ないと思います。そして、これから先もそこまで増えないと思うのです。インターネットがある程度駆使できれば、今学校で教えている勉強を全く習わなくても、さほど人生を生きていくうえで困らないような人は実は今でも十分存在しえるのではないか?と思うのです。

 

 

これまで誰も教えてくれなかった受験勉強をしなければいけない本当の理由

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