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「誹謗中傷」の本質的な問題って、誹謗中傷が根絶されても何も解決しないでしょ

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先日、「「誹謗中傷が嫌ならばSNSやめれば?」に対する反論が謎過ぎる問題 - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の記事で書いた内容の続きとも言える記事になります。世の中では誹謗中傷をなくそうと躍起になっている人たちがいるが、私はそういう光景を見て、無理でしょ?と思わざるを得ない。私は個人、または特定の層を攻撃することがあるけれども、誹謗中傷にならないように、根拠はきちんと添えているつもりだ。感情論にならないように。ただ、誹謗中傷であっても、そうじゃなくても、個人を攻撃するようなケースがあるということは、その相手はショックを受けている可能性がある。その人が私のブログを見ていればね。これってどういうことか?というと、誹謗中傷がなくなったところで、誹謗中傷の問題は何ら解決しないってことです。誹謗中傷というのは、根拠のない悪口とか、罵詈雑言の類だと思っているし、逆に言えば根拠がしっかりと存在していれば、それは誹謗中傷に当たる、当たらない以前に問題ない発言として捉えられるはずだ。根拠がある場合でも否定的な発言が一切できなければ、そっちの方が問題だろうと社会では思われるのだろうし。

 

でも、誹謗中傷って何が問題なんですか?といったときに、たいていの人は「本人が傷つくから」とか、そういう理由を答えると思いますけど、誹謗中傷以外であれば一切傷つかないの?と思う。要するに根拠が存在する否定的な発言を言われても、結局傷つくでしょ?という話になるのです。じゃあ、解決しなくね?と思う。むしろ正論を言われた方が傷つくケースもありそう。要するに、誹謗中傷ってのはさ、論理的思考力のない人間が発する言葉なわけです。根拠が存在しないうえで、バカとか、死ねとか、そういうものを言っている状況に近いと思うのだが、それってバカである理由、死なないといけない理由を考える力がない、頭が悪い人が言っているだけだから、気にする理由って本来はないと思うのです。気にしてしまう人もいるんだろうけど、気にしない状況を実現できる余地はあります。頭が悪いから根拠を何1つ言えないんでしょ?誹謗中傷しかできないんでしょ?って感じで、逆に脳内で相手をバカにすればいいだけじゃん?って、私は思います。でも、相手が根拠を添えて、正論を言ってきた場合にはそう思えませんよね。反論もできないが、相手がバカであると思える余地もほぼない。自分が無能であることが確定してしまう、認めざるを得ない状況になってしまう、自尊心が完全に消えるでしょう。どうすればいいんですか?本人の精神はガタガタですよ。

 

例えば、あるブラック企業で働く人が自身の酷い惨状、そして不満をマスゴミの前で告白したが、「そんな会社で働いているお前のせいで、そもそもブラック企業は生まれてるんだろうが!そこで働く人間がいなければ、ブラック企業は生まれないんだよ!お前が辞めない理由は生活に困るからだろ?だったら、経営陣も労働者をこき使う状況をやめれば、会社がつぶれて困るんだよ!ブラック企業は社員に迷惑をかけているかもしれないが、ブラック企業が増えれば、まともな会社の選択肢が減るんだから、ブラック企業で働くお前も社会に迷惑をかけているんだよ!ブラック企業が加害者なら、お前も加害者なんだよ!」といった言葉を社会から、大勢の人たちからぶつけられたとする。こういう主張をしている人は実際に世の中に一定割合います。ちなみにこの状況は誹謗中傷がほとんど存在しない世界、つまり世の中の多くの人たちが論理的な思考を駆使して否定ができるようになった社会であるとします。この状況において、この人はとんでもない精神的ダメージを受けるでしょうね。私は上記の批判の部分は正論だと思っていますし、何1つ間違っていると思っていません。根拠が存在するので、誹謗中傷でもないでしょう。そして、恐らくブラック企業で働いている自覚のある人が反論するのは非常に難しいと思っています。

 

つまり本人からすれば、自分が悪者であることを自覚せざるを得ない、さらに世の中の多くが自分に対して嫌悪感を持っている、敵視している状況を認識できるわけです。こういう正論を言われると、感情論を言われたときよりも傷つかないですか?精神的ダメージ大きくないですか?感情論の場合、相手のバカに対して、お前もバカだろ!という感情論を返すことがまだしやすいが、正論に対しては言い返すこと自体が難しいんですよ。正論に対して感情論を返せるメンタルがある人ならまだいいかもしれないけど、そこまでのメンタルがない人の場合、最悪のケースでは鬱病になったり、自殺をするかもしれませんよ。誹謗中傷がなくなるだけではなく、正論に対しては何の感情も揺さぶられないようなケースが同時に実現するような、とんでもなく都合のいい状況が実現すれば話は別かもしれませんが、そうならないのであれば、正論を言われて傷つき、病んでしまう人は現実的に出てきます。

 

結局のところ、誹謗中傷だろうが、そうじゃなかろうが、否定的なことを、しかも多くの人たちから言われたときには傷つく人は多いってことです。誹謗中傷の問題の本質が、「言われた側が傷つくから」ならば、誹謗中傷をなくしたところで解決する問題ではありません。誹謗中傷で傷つく人がいてはいけないけど、正論で傷つく人がいてもいいという考え方の人もいるんだろうけど、そうなるとその理由が必要です。逆にその理由がないならば、その考え方が誹謗中傷です。論理で人を傷つけていいのに、誹謗中傷で傷つけるのがダメと主張し、その主張に何の根拠もないならば、誹謗中傷をなくそうとする側が、誹謗中傷をしている人に対して誹謗中傷をしている状況でしょう。実際、日本では「正論ハラスメント」なんて言葉があるらしく、正論を言ってくる側が問題だと主張する層もいるようようですからね。論理であっても、人を傷つける発言はするな!と主張する層が一応いるわけです。誹謗中傷をなくそうとする側は、無意識のうちに自分たちが正義であるという前提に立つんだろうけど、その感覚はやめた方がいいと思います。無意識のうちに生まれる感覚に言っても意味ないのかもしれませんが。でも、問題の本質を見誤る結果になりかねないですから。要するに「人が傷つくから」以外で、本来は根拠が必要なんです。

 

結局のところ、誹謗中傷をなくそうとすることは、誹謗中傷の問題を解決するための手段として現実的ではないということです。そもそも根拠があっても、その根拠が的外れだと思えた場合にはどうするんだ?などの問題もあります。それは誹謗中傷なのか?誹謗中傷じゃないのか?レッテルで議論をすると、こういう問題にぶち当たるわけです。そうなると、こういう議論はやるだけ時間の無駄だと思います。だからこそ、以前の記事でも書いたけど、「SNSやめれば?」が現実の対策として最も有効になってきます。こういう案を出すと、絶対にそれを否定的に捉える人も出てくると思うのだが、マジでそれしかないと思いますよ。そもそも上記の問題が仮にないとしても、誹謗中傷をする人がこの世から1人たりとも消えるって、想像できないです。誹謗中傷はそれを言った本人はもちろんだが、周りの人間に快感をもたらすものです。むかつく奴を悪く言ってやったという快感は本人にあるでしょうけど、言った本人以外でも、同じくその相手をむかつくと思っていた人からすれば、そのむかつく人が悪く言われている光景を見ると、同じく快感を覚えると思うんですよね。つまり、誹謗中傷それ自体に需要が存在してしまう、誹謗中傷はエンターテイメントの力を持っている状況なのです。

 

実際、Youtubeとかでそういう動画をあげると再生数稼げますよね。私が過去に確認した例では、世の中で批判的な見方をされている人物の「クズエピソード(これはタイトルに使われていた単語)」なるものを紹介する動画を公開している某有名Youtuberがいました。動画を見たところで、それがクズと言える根拠は何1つなかったように見えたが、その人物は世間から嫌われているため、クズというレッテルで誹謗中傷されることに対して何の違和感もない人が多かったのでしょう。それどころか、いいぞ!もっと言ってやれ!みたいな人も多くいたはずです。コメント欄を見ると、マジでそんな感じだった。そんな動画を公開している、そんなコメントをしているあなた方はクズじゃないですか?と心の中で思ったけれども(笑)これも悪を懲らしめたいという欲求から、善人面しているケースでしょうな。悪人が悪人を叩いている光景とでも言うべきか(笑)誹謗中傷であっても快感を覚えてしまう以上、エンタメとして成立している以上、これをなくすのは無理です。人間が食事なしで生きられるくらいの難易度だと思います。快感は本能ですから。快感を求めてしまうことを自分の意志で防ぐというのは、それができる人もいるが、できない人も往々にしています。多少減る状況はありえても、ほぼなくなるとか、そういう状況はまずないでしょう。ネット実名制にしても、韓国ではほぼ変化なかったようですし。

 

だから、以前の記事と同じような流れになってしまうが、改めて泥棒に対して鍵をかけるような対策こそが私は最も合理的だと思います。泥棒はいなくならない前提でやるのが鍵をかける行為でしょ?泥棒に対して「泥棒やめろ!」なんて叫んでいる人ってほぼいないじゃないですか?それって、その行為が無駄であることを知っているからですよね?そんなことしても無駄だから、現実的な策として施錠をしっかりとやるという選択をしている人が増えたんだと思うんですよ。誹謗中傷もそうすればいいと思います。誹謗中傷はなくならない、なくなっても傷つく人はいなくならない、そういう前提で行動すべきだと思いますよ。SNSをやめないで自衛ができるならばそれでもいいです。SNSをやめるってのは自衛の手段の1つってことですから。単に愚痴を言って自己満足に浸りたい人ならいいけど、本気でなんとかしたい、傷つく人をなくしたいならば、SNSをやめるなどの自衛をするしかないと思います。それにSNSをやると誹謗中傷の被害に遭うだけじゃなくて、自分が加害者側になる可能性もありますから。その可能性が0と言い切れる人なんていないと思いますよ。悪を懲らしめたいって欲求は、人間であれば多くが持っているはずなので、悪と認識した対象を正義感から誹謗中傷してしまう、全然あり得る光景でしょう。そういう意味でも、誹謗中傷をなくしたいならば、SNSをやめるってのはかなり合理的です。

 

泥棒に対して鍵をかけて自衛する手段がとれるならば、SNSをやめる、掲示板などを見ない、エゴサーチしない、もしくはそれ以外の手段で自衛をするってのができない理由が分かりません。こういう手段をとらない、あえて否定する人は、誹謗中傷の被害をなんとかしたいって本気で思っていないってことなんじゃないですか?実際、以前の記事でも書いたけど、彼らは謎の理屈を持ってきますからね。誹謗中傷の被害をなくすために、被害に遭った側がSNSをやめるのはおかしい!いじめられた側が転校するのと同じだ!とか、言ってくるんですよ。私であれば「それが何か問題でも?」と返すだけですが。現実的にそんな手段は実行できないとか、そんな方法じゃ被害は食い止められないという反論なら分かるものの、そういう反論はしてこない時点で、SNSをやめる手段が現実的である点は認めてくれたってことでしょう。でも、現実的に有効な手段であると認めているのに、それを拒否するって時点で、彼らは誹謗中傷の被害を防ぐよりも、自分たちが納得いく方法か?どうかっていう、自己満足の方が大切だと思ってるんでしょうから、どうしようもないですよね。誹謗中傷の問題を本気でなんとかしたいなんて気持ちは微塵も感じられません。

 

中にはSNSの利用マナーを向上させるための教育をすべき!とか言う意見もあるが、具体的にどんな教育なの?という中身に関して、一切話さないのよね。そんな教育が可能ならば、とっくに実現してるんと思うんだがね。理想だけ言って、その理想を実現させるための中身が全くないという、どうしようもない状況ですよ。話はちょっと逸れたけれども、誹謗中傷はエンタメになり得る存在なので、消えることはない。そして、誹謗中傷が仮に根絶しても、相変わらずショックを受け続ける人は残る。それどころか、誹謗中傷が消えた世界の方(論理的な発言を多くができるようになった方)が人は傷つきやすいんじゃ?という懸念もあります。何らかの発言で人がショックを受けるのを問題と捉え、その問題を根本から解決したいならば、人とかかわるのを避けよう!くらいしか言えなくなってしまいますな。

 

SNS暴力 なぜ人は匿名の刃をふるうのか

SNS暴力 なぜ人は匿名の刃をふるうのか

  • 作者:毎日新聞取材班
  • 毎日新聞出版
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