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フリーライダーを悪く言う人間こそが経済の合理性をゆがめている

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社会ではフリーライダーが問題視されることがある。特に最近では、新型コロナウイルスのワクチンの分野で聞かれることもある。ワクチンを打たない人は、打っている人による恩恵をタダ乗りしていると非難する声が実際に見られます。自分がワクチンを打たなくても、他の人たちがたくさん打ってくれれば、社会全体の感染リスクは下がるので、結果的に打っていない人が感染するリスクは下がる。つまり、ワクチンを接種するリスクを何ら負うことなく、恩恵だけ受けるという状況なのだ。この状況を好ましくないと思っている、別の言い方をすればズルいと思っている層が、ワクチンを打たない人たちをフリーライダーであると揶揄しているのだろう。

 

過去の記事でも書いた覚えがあるけど、私はフリーライダーを悪いと思ったことは1度もない。私以外にもフリーライダーの何が悪い?と思っている人も世の中にはいるようだが。ただ、フリーライダーの本質を分析すると、誰もがフリーライダーだと思いますけど。それにフリーライダーってただ乗りのケースしか扱わない印象だけど、そこも結構謎だよねと思う。というか、ただ乗りのケースしか扱わない部分に関しては、非常に恣意的な線引きをしないといけない事情があるんだろうと思う。例えば、月額費用を負担して利用する動画配信サービスがあるが、こういうサービスは新作を除けば見放題であることも多い。あるサイトのあるプランが月額1000円だったとしよう。この場合、利用者はそれぞれ1か月以内で視聴する作品数は全く同じなのだろうか?んなわけない。Aさんは10作品、Bさんは20作品みたいな状況が普通に起きる。月額費用は確かに同じだが、1作品当たりに支払っている金額は違うことが分かる。明らかにBさんの方が得をしている。見たい作品の数の多い、少ないという、運の良し悪しの問題だとしても、2人の間で損得は確実に発生しています。この状況を客観的に捉えると、Aさんの方が負担額が大きいわけだが、支払われた金額はサイトのサービス拡充などに使われており、そのサービス拡充は利用者全員に対して恩恵をもたらす。

 

先に言っておくと、フリーライダーの問題って、支払ったコストがまず問題になるが、このコストは金額だけに限られない。負担した手間や時間、そしてリスクなども含まれる。だからこそ、ワクチンでもフリーライダーの言葉が使われているわけだが。今回のケースで言えば、支払ったコストはお金であり、月額費用としては両者は全く同じだが、視聴する1作品あたりの支払った金額は明らかに違う。フリーライダーが嫌いとか、叩かれる理由って、同じような恩恵を受けているにもかかわらず、各自で支払ったコストが異なる状況が問題だと言われているはずです。そうなると、ただ乗りか?そうじゃないか?だけが問題ではない。全員がただ乗りをしていないとしても、支払ったコストと受けている恩恵の差があれば、それはフリーライダーの本質と一切変わらないだろう。しかし、なぜかフリーライダーの問題では、ただ乗りか?そうじゃないか?の部分でしか語られない。つまり、コストを一切負担しない人といくらか負担している人の間でしか語られないのだ。負担はしているが、その負担の量に差があるケースはほぼ扱われていないように見える。それはなぜか?と言えば、自分がフリーライダーに該当するのを阻止するためだろう。

 

要するに、負担するコストの量が異なる状況でもフリーライダーの問題が語られれば、世の中の大半の人たちはフリーライダーですよ。誰かと比べて相対的に負担するコストの量が少ないというのは、比較対象を選べば誰でもほぼ実現できてしまうと思います。基本的に世の中の多くの人たちはフリーライダーというレッテルを悪いものとして捉えているので、フリーライダー=悪人であり、その悪人に自分が当てはまるのを許容できないのでしょう。ブラック企業の延命に貢献している社畜が被害者面して、ブラック企業だけを加害者としてバッシングする状況とそっくりだ。だから、フリーライダーはコストを全く支払わない人だけに限定して使われているのだろうと私は思っています。日本人がよく使う手ですよね。

 

ワクチンの話に戻ると、仮に世の中の全員がワクチンを打ったとしても、その恩恵の部分には差が出てきてしまいます。ワクチンの場合にちょっと特殊で、負担するリスクも受けられる恩恵も差がある状況です。負担するリスクに関しては、若者の方が高いと言われているみたいです。私は専門家じゃないので、詳しくは知らないものの、そういう記事を見たことがあります。そして、恩恵に関しては、感染リスクが高い人とそうじゃない人で異なります。例えば、頻繁に外出する人とひきこもりがちの人では感染リスクは違うだろう。この場合、ワクチンを打ったことによる恩恵は前者の方が大きく、後者の方が小さくなります。また、感染した場合の死亡リスクも異なるので、死亡率が高いと思われる人ほど恩恵が大きくなる。全員がワクチンを打ったとしても、負担するリスクと受けられる恩恵は各自で違いがあり、相対的に得している人間と損している人間が生まれますよ。若者で、ひきこもりがちの生活をしている人は1番損をしているという状況になるのかもしれない。

 

フリーライダーを非難している人は、全員がワクチンを摂取すれば、この問題は消えると思っているんですか???ただ乗りは消えても、受けられる恩恵は平等なのに、相対的に重い負担を強いられている人、または相対的に受けられる恩恵は小さいのに、相対的に重い負担を強いられている人は、依然として残りますよ???実際、これはちょっと前にネット上のある記事で見つけたのだが、「悪いのはフリーライダーではなく、フリーライダーへの怨嗟」という言葉がありました。フリーライダーを憎らしく思う気持ちが諸悪の根源ということでしょう。フリーライダーは経済の合理性をゆがめる存在と言われています。それの何が悪い?という話もあるのだろうが、とりあえずここでは置いておく。それが悪いことであるとしても、フリーライダーがいるから、いきなり合理性がゆがめられるわけではありません。フリーライダーをよく思わない層がいるからこそ、結果的にゆがめられるのです。さっきの記事には、最終的には「フリーライダーをいかに取り締まるか?を考えるのは論点がずれている」とも書かれていたはずです。

 

ここまでの話を踏まえると、フリーライダーはどちらかと言えばきっかけであり、経済の合理性をゆがめているの直接の犯人は、フリーライダーをよく思わない人たちということです。彼らがフリーライダーに嫉妬しなければ、経済は何も変わりません。したがって、フリーライダーに端を発する事象が問題であると思っているならば、フリーライダーを問題視しなければいいじゃん!そして、今まで通り行動し続ければいいじゃん!でおしまいなんでしょう。でも、自分たちだけが損する状況を許せない彼らは、自身で理想的な状況ではないと認めている状況をあえて実現するために動くわけです。ただ、問題はそれだけにとどまらず、フリーライダーを問題視することで、フリーライダーという存在がこの世にいることを多くが知ってしまい、経済の合理性はさらにゆがめられます。フリーライダーが問題ならば、フリーライダーの概念が世間に浸透しないように、誰も話題に出さない、非難しないっていうのが最も合理的な選択になりますよね。

 

フリーライダーは合法な存在なので、叩いて消える、少なくるとも思えません。というか、フリーライダーであることが他人にバレないように隠すことは、たいていの場合で十分に可能です。自分自身が叩かれるのを恐れるという理由から、フリーライダーを離脱する、フリーライダーになるのを避ける合理性もありません。経済の合理性がゆがめられるのは、フリーライダーが発生した瞬間ではなく、多くの人たちがフリーライダーの存在をよくないと思った瞬間なので、フリーライダーの発生を抑制するのではなく、フリーライダーの概念を誰もが知らない世の中を作る方が賢明でしょう。フリーライダーが世の中からいなくなることはありえず、そもそもいなくなったか?減ったか?どうかは確かめようがありません。つまり、フリーライダーを憎む存在が世の中に多くいる現状では、フリーライダーをなくす、減らすというやり方では、ずっと経済の合理性は不都合のままでしょう。

 

フリーライダーの概念が世間から消えるような状況があれば、経済の合理性は理想に近くなりますよ。嫉妬する人間がいなくなるので。行動が元に戻るわけです。実際にフリーライダーの概念をこの世から消すには、フリーライダーの話題なんか出してはいけなません。だから、世の中の人たちがフリーライダーを叩いている現状を見て、私はこの人たちって何がしたいの?(笑)としか思えないわけだ。ちなみに私は経済の合理性とやら一切興味はありませんが。でも、フリーライダーを何としてでも悪者にしたい層にはこの意見は受け入れられません。彼らは経済の合理性がゆがめられていることが問題だと考えているのではなく、フリーライダーのような得をしている、楽をしている、そんなむかつく存在こそが問題だと捉えているのでしょうから。つまり、彼らが言う問題根幹は自己満足の領域であり、実際は経済合理性とは無縁だと思うわけです。実際は自己満足であるとは認めず、経済合理性の不都合を主張してくるのだと思いますが。

 

その記事にはさらに「フリーライダーをよく思わない人も、誰かにフリーライドしてるんだから、そこはお互い様であり、謙虚でいるべきだ」といったことも書かれていました。これって、私がさっき書いたことだと思うのです。ただ乗りはしていないとしても、あなたは他人よりも小さい負担しかしていないのに、他者と同じ程度の恩恵、または他者よりも大きな恩恵を受けることはありますよね?実際、そんなケースは日常的にあるはずです。「現代人は先祖からすれば全員フリーライダー」といったことも一部では言われているみたいですし(笑)要するに、いわゆるフリーライダーという言い方をしないだけで、フリーライダーが抱えている問題の本質と差がない状況は多数あると思いますよ。フリーライダーって、損をしている人間のモチベーションの低下こそが問題と言われているようですが、このケースでも損をしている側の人間はモチベーションに影響しますからね。実際、フリーライダーを非難している人は、自身が持つフリーライダーへの嫌悪に関しては正当な気持ちだと思っているのでしょう。

 

しかし、すでに説明したように、その気持ち自体が経済の合理性をゆがめています。経済の合理性をゆがめる直接の原因を問題視しないならば、その直接の原因の原因になっているフリーライダーの存在を問題であると、どういう理屈で説明するのでしょうか?フリーライダーへの嫌悪を正当化した時点で、その結果として生じる経済の合理性がゆがめられる事象も許容したことになります。経済の合理性がゆがめられることが許容された時点で、フリーライダーを叩かないといけない理由ってあるんですか?とまあ、こんな話を以前ある人に話したら、「屁理屈」としか返ってこなかった(笑)私はすかさず、「私の言っていることのどこがどのように屁理屈なのか?説明してください」と返したら、何も言ってこなかった。「屁理屈」なんてレッテルで返した時点で、もう負けですよ。レッテルというのは、具体的に論理的に説明ができない人が、自分の主張をそれっぽく見せるために、誤魔化すときに頼る存在ですから。

 

フリーライダー あなたの隣のただのり社員 (講談社現代新書)

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  • 作者:河合 太介,渡部 幹
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